静岡地裁の近くにある静岡カトリック教会で1996年から2008年まで主任司祭を務め、そこで再審の署名活動を支援したという、パリ外国宣教会静岡本部のミシェル・ゴーチェ神父(72)は27日、本紙に対し、「教会は、(袴田さんが)カトリック信者だから応援しようというのではなく、人間として手を差し伸べてほしい。(正しい者にも正しくない者にも)雨を降らせてくださる(マタイによる福音書5章45節)と聖書に書いてある通り」と話した。
同日午後5時22分ごろ、巖さんが拘置されていた東京拘置所で大勢の報道陣が詰めかける中、黒塗りガラスの車が1台、同拘置所から出ていった。
その直後に袴田さん弁護団の戸館圭之弁護士(33)は、同拘置所前で記者団に対し、「いま袴田巖さんが釈放されました。今の車に乗ってました」と語った。
これに先立って同拘置所で秀子さんとともに巖さんに面会をしていた2人の弁護士のうちの1人である戸館弁護士は、「検察側は即時抗告を申し立てたと同時に、静岡地裁の拘置の執行停止に対する執行停止の申し立てをしたんですが、東京高裁はその執行停止をしないという判断をしたことから、拘置所が検察庁に釈放指揮をすることになり、先ほど袴田巖さんは東京拘置所を釈放され、いまお姉さんと一緒に外に出たということです」と説明した。
同弁護士によると、面会の際に再審開始決定書を見せて何度も伝えても、巖さんは当初、「そんなのウソだ」「袴田事件はもう終わったんだ」などと語り、にわかに信じられない様子だったが、淡々とした表情で、自分が釈放されるんだという認識はあったという。
同弁護士はまた、巖さんはかなり精神的に異常な状態で、身体的にも血糖値が高いという。釈放後は静岡に帰るか、またはいったんどこかに宿泊するか病院に行くか決めていないと語った。巖さんは釈放された際、黄色っぽい半そでシャツ姿で、身の回りの手荷物以外はダンボールで後で郵送することになっているといい、所持品である手提げ袋はガムテープで留めてあり、中身は見えなかったという。
なお、『主よ、いつまでですか~無実の死刑囚・袴田巌獄中書簡』の内容について、新教出版社はウェブページで、「殺人の冤罪で死刑を宣告され、獄中から無実を叫び続けている、元日本フェザー級6位、プロボクサーの袴田巖さんが、真実の裁きを求めて綴る書簡」「1966年、静岡県清水市で起きた一家4人殺しの罪を着せられた袴田さんが、その獄中で書きつづった、身の潔白と再審を願う祈り、肉親への切々たる思い、そしてキリスト信仰を持つに至った信仰的断章を、『救う会』の責任で編集」と紹介している。