旅路を急ぐ
使徒の働き20章13節~17節
[1]序
今回は使徒の働き20章13節から17節、寄港地と寄港時を記している箇所を「旅路を急いでいた」(16節)に焦点を合わせながら味わいます。
13節の「私たちは」に注意。使徒の働きの著者ルカがパウロの同行者の一人として加わっている事実を示しています。
この表現は、6節で、「種なしパンの祝いが過ぎてから、私たちはピリピから船出し」に係ります。さらに16章10節から17節でも、繰り返し「私たちは」と、ルカがパウロの一行に加わっている事実を明らかにしています。
ルカはトロアスでマケドニヤ人の叫びの幻を見たパウロと共に、マケドニヤに渡り、ピリピでの宣教活動に参与したのです。パウロとシラスがピリピを去った後も(16章40節)、ピリピにとどまり、ピリピ教会に仕えました。
20章6節では、マケドニヤを経てシリヤに向かうパウロの一行に、ルカがピリピで加わり、トロアスに向かったと示しています。さらにルカはピリピ教会を代表する形で、4節に列挙されている異邦人教会の代表に加わり、21章1節から18節に見るように、エルサレムまでパウロに同行します。
そればかりでなく、27章1節から28章16節でも「私たち」との表現を繰り返すことから明らかなように、エルサレムからローマまでもパウロに同行します。
このルカが、医者ルカまた歴史家ルカと呼ばれるにふさわしく、一つ一つの事実・出来事を現場にいた者・目撃者の目をもって生き生きと描いています。
今回の箇所でも、寄港地の一つ一つを几帳面に、しかも簡潔に記しています。
[2]旅路を急ぐ、その理由
(1)エペソに寄港しないで
パウロの宣教において、あれほど重要な位置を占めているエペソ。その「エペソには寄港しないで行くことに決めていた」(16節)とルカは伝えています。「アジヤで時間を取られないように」と決定していたためです。パウロは一つの基準に従い何をなし、何をなさないか選択をしているのです。
(2)五旬節の日にはエルサレムに
「できれば五旬節の日にはエルサレムに着いていたい」と、大きな目標が定まっていたので、アジアではどうすべきかパウロは判断できるのです。
五旬節のエルサレム(参照・2章1~13節)に、異邦人教会からの代表を伴い、パウロは福音宣教の実を示し、ユダヤ人教会と異邦人教会の一致を明らかにしたいのです。
また宣教のため好機の活用をパウロは目指します。この大きな目標(価値判断)に立ち、パウロは何をなし、何をしないか綿密に計画を立て実行して行きます。この態度は、信仰の旅の継続に不可欠です。
(3)旅路を急ぐ
「旅路を急ぐ」、このことばは、新約聖書で6回使用。その中5回までルカが用いている事実は注目に値し、その一つ一つの用例が興味深いものです。
①ルカ2章16節、「そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた」。
②ルカ19章5節、「イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。『ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから』」。
③ルカ19章6節、「ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた」。
④使徒22章18節、「主を見たのです。主は言われました。『急いで、早くエルサレムを離れなさい。人々がわたしについてのあなたのあかしを受け入れないからです』」。
これらの用例から、主なるお方の呼び掛けを受け、使命を与えられ、明確な目標を持ち進む「旅路を急ぐ」者の生き方を見ます。
[3]旅路を急ぐ、その中で
(1)その中で
「パウロは、ミレトからエペソに使いを送って、教会の長老たちを呼んだ」。旅路を急ぐパウロの一行は、そのためただ何もしない、できないのではないのです。
互いに協力しながら、旅路を急ぐその中で、何ができるか、何をなすべきか判断し、実行する姿を見ます。感動的です。
(2)教会の長老たち
[4]結び
信仰の「旅路を急ぐ」者。使命と目標を大切に、何をなさないか、何をできないか。
しかもそのような旅路を急ぐその中で、何をなすことができるか、何をなすべきかを求め決定し、実行する歩みに私たちも招かれています。
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。