ブレア元首相は討論会で、自身が英国首相時代の信仰について、「信仰を前面に出し過ぎることで、『変わり者』と思われないか懸念していた」ことを明かした。
ブレア元首相は、討論会で「イエス・キリストを通して救われた」という自身の信仰告白を明言し、他のキリスト者にも同様に、堂々と信仰を表現するように促した。
ブレア元首相は、「信仰者は自身の信仰的立場から物事を話すべきであり、そのための準備をしておく必要があります。言いかえれば、私達が信じていることを他者に話すことを恐れたり恥じてはいけないということです」と述べた。
救世軍との会合を現役首相時代に行ったことについて、私が首相時代、この様な人々と会合することを好んだ理由は、彼らは恥じることなく自身の信仰を告白していたからです。そのような姿勢が重要だと思います」と述べた。
ブレア元首相は、ブッシュ元米大統領と共に祈ることについて、「そのようなことを行ったとしても間違いではなかっただろう」と述べた。
ブレア元首相はキリスト教の信仰団体が、信仰による社会問題による見解を前面に出して伝えていくべきであるとし、「信仰者が信仰的見解を社会で前面に出して伝えていくことにいかなる規制もかけられるべきではないと思います」と述べた。
ブレア元首相は、英国内および海外の信仰者たちが行っている良い業について伝えることが重要であるとし、「私は積極的に世俗主義を推し進めている人々というのは、宗教に関して、過激的な思想であるという偏見をもっていて、『だから言っただろう。奴らは皆気が狂っているんだ。そういう奴らの言うことなんて聞かない方がいい』と直ぐに言ってしまいがちだと思います」と述べた。
ブレア元首相は、カンタベリー大主教のウィリアムズ博士と公的生活においていかに信仰を表現して行くかについて議論した。
ウィリアムズ博士は、英国が「人々が社会が合理的であると思いこんでいる道へ歩もうとしていますが、残念なことに、このような方向性に対して、議論を投げかける英国の宗教者はあまりいません。私達は道徳性というものが自明のものとして社会にまかり通っていると思いこむ危険にさらされています。しかし世俗社会では道徳的な問題に関して議論しても限界があります。それゆえに宗教者は人類のあり方や生き様について考えていかなければいけません」と述べた。
一方ウィリアムズ博士は、キリスト者が自らを犠牲者のように表現することについては、注意を促し「信仰者が今日の英国社会にあって必ずしも犠牲者の側、隔離された側にあるかどうかは明確ではありません。一部の極端な分野において、キリスト者の宗教的一面が色付けされているだけであると思っています。ですから、キリスト者全体が英国社会で犠牲者のような立場に置かされているのだと見なしてしまうのは短絡的ではないかと懸念しています。宗教共同体として、私達は公的空間とのつながりをもっていなければなりません。公的な問題を論ずる対話の中で、目に見える形で、人々に意見を伝えられる形で存在していなければならず、宗教者は宗教的な動機によってこれまでの10年間の社会情勢を振り返ってもとても重要な影響を計り知れない人々に与えてきたと思っています」と述べた。