(主人が危篤?そんなバカな。何かの間違いだ)
私は自分の目を何度もこすっては、電文の紫色の印字を指で一文字ずつなぞって、読み返しました。やはり、間違いではありませんでした。急きょ、Aさんに国際電話で確認しました。
主人は脳卒中で倒れ、意識不明に陥っていました。もともと、高血圧でコレステロール値が高い体質でした。独身生活の不規則な暮らしに加えて、家族や自分の身の振り方についてあれこれと思い悩み、心労が重なってついに倒れたのでしょう。
人は、自分の身に起こる不可解な事態や理不尽な試練にどんな意味があるのか、すべてを知ることはできません。ただ、神様のみがご存知で、その人の運命を握って最善を導いておられるのです。ですから、いちいち不安に陥ったり疑うのではなく、この神様を信じて従う事が大切です。神様が指示なさることは、即座に実行し、結果は神様の御手に委ねることです。
そう信じて、これまでの38年間というものは、先行きが不透明な中でも平安を失うことはありませんでした。しかし今回、主人の上に突如振りかかった試練はあまりにも過酷で、これまでの私の許容範囲を越えていました。頭の中は、一時真っ白になってしまい、足元の地面が突然音も無く崩れて、奈落の底に突き落とされていくような絶望感に打ちのめされたのでした。
しかも、悲嘆に浸りきることすら許されていませんでした。ともかく、主人のところに一刻も早くいかなければなりませんでした。先立つものはお金でした。ですが、私の手元には一円のゆとりもありませんでした。勤め先の病院でもらっている月給は3万円で、家族6人が最低限暮らしていける額にすぎませんでした。大学生の恵芝と高校生の恵參がアルバイトをして、何とか家計を補っているありさまでした。結局、病院から20万円ほど前借りさせてもらいました。
「彼(神)に信頼する者は、失望させられることがない」(ローマ9・33)
一時は気が動転してしまいましたが、祈り始めるとこの聖句とともに再び信仰の火が燃え始めました。渡航に必要なパスポートを作成するには、ふつう1週間かかります。でも主人は、危篤で意識不明なのです。何としても、即刻手に入れなければなりません。電報を受け取った翌々日の朝、パスポートの取得申請のため、外務省に飛んで行きました。
そして思いがけないことに、省内の廊下で釜山の日本領事館の総領事とバッタリお会いしました。私共夫婦が釜山に住んでいた頃、親しくさせていただいた方でした。信仰の目で見るなら、この世の出来事に偶然というものはありません。すべて神様のご摂理、ご計画のもとで起こるのです。この出会いも、神様の備えられたものでした。
私は持ってきていた電報を総領事に見せて、すがりつく思いで頼み込みました。
「すぐに、ソウルに行かなくてはならないんです。何とかパスポートの手配をお願いできないでしょうか」
総領事は電文を一瞥(いちべつ)するなり、「あっ、これは大変だ。よしっ、私についてきなさい」と言って、足早に私を旅券課に連れて行きました。そして旅券課長に引き合せると、念を押すように言いました。
「戸籍謄本と住民票は持ってきましたね」
「えっ、あの、私、何も持ってこなかったんです。気が動転してしまったものですから。…すみません」
私は、電報さえ見せればパスポートを発行してもらえると思っていた田舎者でした。これには、旅券課長のほうが度肝を抜かれたようで、絶句してしまいました。そんな様子をご覧になった総領事は、にこっとしたかと思うと、横からすかさず助け舟を出してくださいました。
「この婦人の身元については、私が責任を持ちます」
この“鶴の一声”で、取得に1週間かかるはずのパスポートを、わずか10分後に手にしていました。こんなことは、おそらく前例がないでしょう。顔写真は、館内の写真室で撮ってもらいました。
さあ、次にはビザをもらわなくてはなりません。私はその足で、韓国大使館に向かいました。外務省からは、私が行く旨すでに電話が入っていたようです。「さあどうぞ」と丁重に応接室に通され、ビザ取得手続きは、いたってスムーズに済みました。
翌朝、単身ソウルに飛びました。
~回復一パーセントの望みに賭ける~
主人は、ソウルのバプテスト教団の病院に入院しており、倒れて以来、40度の高熱が続き、植物状態と化していました。
これは、思考や運動を司る大脳皮質の働きは失われているのですが、呼吸と消化・吸収、血液循環など生命維持を司る脳幹部が機能している状態を言います。自力では動けず、食べられず、排泄もできず、意味のある言葉をしゃべることもできないので、意志疎通がほとんどできません。
主人の鼻には、二本のビニールチューブが差し込まれています。一方のチューブを通して酸素を吸入させているのですが、虫の息に近い状態でした。もう一方のチューブからは流動食を流し込みます。小水も、ビニールチューブから出すようにしてありました。
舌は、上あごに貼りついてしまったかのようで、一言も話せません。呼びかけても反応がなく、白目だけが虚ろに天上を見つめています。人一倍表情が豊かで、いつも快活で行動的だったのに、まるで別人のようです。あまりにも変わり果てた姿に、私は、悲しいとか泣きたいなどといった感情など、どこかに吹っ飛んでしまい、ロボットのようにただ茫然と立ちすくんでいました。それでも何とか気を取り直すと同時に、神様に問い詰めずにはいられませんでした。
―なぜ人は、このような惨めな状態に落ちていかなければならないのですか。主よ。なぜですか。なぜですか。―
聖書は、病気や悲嘆は人間の原罪がもたらすと説きます。今の今、その真理がこの上なく鮮明に心に刻み込まれたのでした。
―ああ神様。主人の、私の、そして子供たちの、まだ気がついていない罪を、イエス様の贖いの十字架の血潮によってお赦しください。そして、どうか主人の命だけはお助けください。―
叫ぶようにして、祈って祈って祈り続けた。しかし、そんな私を嘲笑うかのように、主人の体は高熱が続き、間もなく肺炎まで併発してしまいました。小水は一滴も出なくなり、代わりに血尿がポトリ、ポトリと出てきます。このような、目に見える病状の悪化が、私を不信仰に陥らせようとして、日々波状攻撃を仕掛けてきました。そのたびに私は、目に見えない神への信仰を奪い返していきました。
―天地創造の主よ。あなたには不可能はありません。どうぞ、その全能の御手でもって、主人を再び生かしてください。あなたは、すべての命あるものの生死と運命とを、その御手に握っておられるお方ではありませんか。―
主人の病状は、好転する兆しが見られなかった。そこで私は、発病16日目に脳外科専門病院に転院させてもらいました。本当は「三週間は、絶対安静に」と言われていたのですが、私があまりにしつこく懇願するものですから、ついに許可してくれたのでした。
転院先の院長先生は、韓国の名門大学・延世大学学長も兼任しておられる名医ですが、主人の容態を見るなり、こう断定しました。
「いやー、こんな重病人は見たことがありません。心臓は動いていますが、あとは完全に麻痺しています。大動脈が完全に切れていますから、99パーセント再起不能でしょう」
99パーセントという数字を聞いた瞬間、私は反射的に思いました。(よしっ、それなら残りの一パーセントに賭けよう)と。そして―万一主人が天に召されるのでしたら、私も死にます―と神様に申し上げました。主人の回復に自分の命を賭けて、神様と取引したのでした。このように、命賭けで神の前に出て行ったなら、何も怖いものなんかありません。
つくづく思うのですが、たとえ瞬間的な短い祈りであっても、魂の深みから発するなら聞かれます。長く、くどくどと祈っても聞かれるわけではありません。「主よ!」このひとことに、万感を込めて叫び求めるのです。「すべて主の名を呼ぶ者は救われる」(ヨエル2・32)のですから。
また、祈りが真剣になれば、どうしても大声になるのではないでしょうか。そのほうが気持ちが集中できます。他人にどう思われようと、関係なくなってしまいます。そのような祈りを、主は聞いてくださいます。
聖書には、イエス様に癒しを求めた二人の盲人が、「大声で『ダビデの子よ。私たちを憐れんで下さい。』と叫びながらついて来た」(マタイ9・27)とあります。この願いは聞かれ、彼らの目は開きました。
私は付き添って五日目には、病院の小部屋を借りて、内から鍵をかけて閉じこもって祈りました。文字通り寝食を忘れて、昼も夜も、トイレに行っている間も祈りました。神様の方もさすがに放ってはおけないと思われたようです。祈り初めて21日目。明け方の5時ごろだったでしょうか。祈りがひと息ついた時、小部屋をノックする音がしました。ドアの鍵を開けると、待ち兼ねていたかのように主治医と看護婦さんが立っていました。
「いやー、いくら叩いても返事がないので、自殺でもされたかと思いましたよ。奥さん、喜んでください。ご主人、目が見えるようになって、呼びかけるとちゃんと反応するようになったんです」
「まぁー、そうですか。やっぱり、私、癒やされると信じて、ずーっと祈っていたんです」
神様は、奇跡を起こしてくださった!もう感謝と感激とで、胸がはち切れんばかりでした。自分の命を捨てたつもりで祈っていた私は、主人とともに死から蘇ったような気持ちでした。
しかし、主人の視力は回復したものの、あいかわらず身動き一つできません。大脳は麻痺したままで、呼びかけると、まれに返事をするのですが、まったく反応しない時の方が多いのです。このまま病院にお世話になったとしても、回復までの長期戦となることは、素人目にも明らかでした。私のビザは滞在日数が限られており、いつまでも付き添っているわけにはいかないのでした。主人を、日本に連れ帰るしかない。私は、またまた神様に泣きつきました。
―神様。家には五人の子供たちが待っています。末の息子は、まだ9歳なんです。何とかしてください。―
主人は観光ビザを持っています。病気で倒れたとはいえ、日本に入国する権利まで無効になったわけではありません。「不幸中の幸い」という言葉は、こういう時のためにあるのではないでしょうか。ともかく主人を連れ帰って、私の勤めるキリスト教病院に入院させていただこう。そうすれば、仕事の合間に介護することもできる。国際電話でその旨お願いし、了解を得て、航空便の速達で入院許可証を送ってもらいました。
私はその入院許可証を持って、主人と私の航空券を予約するため、日本航空ソウル支店に出向きました。しかし、主人の病名はあえて話しませんでした。話せば搭乗を断られるに決まっています。
「で、ご主人はどういう病気なんですか」
支店長が、この婦人の話しはさっぱり要領を得ないと思ったのは当然でした。
「とにかく、主人の容態を見てください。今入院中なんです」
では、と支店長は次長を同行し、病院までの車を出してくれました。病室のドアを開けたとたん、支店長の顔色がさっと一変しました。それをチラリと見て、内心、薄氷を踏む思いでした。
「あのー、ご主人の鼻に差し込まれているあの二本のチューブ、何なのですか?」
「あれで酸素を吸入したり、流動食を流し込んでいるんです」
「…うーん…」
支店長は両腕を組むなり、しばらく絶句していました。
「あの足元のチューブは?」
「あれで、お小水を取っているんです」
「…うーん…」
さらに一段と重々しく唸ったかと思うと、こう断言しました。
「いやー、これでは搭乗は絶対不可能ですなあ。健康な人でも、離着陸する時、気分が悪くなって吐いたりするんですから」
「絶対不可能」という言葉を聞いた瞬間、反射的にこんな聖句が浮かんできました。
「神にとって不可能なことは一つもありません」(ルカ1・37)
「信じる者には、どんなこともできるのです」(マルコ9・23)
そして「絶対」という言葉は、人間の使うべき言葉ではないのだと、心の中で反論しました。支店長は続けてこう言いました。
「そもそも、こういう重病人を動かす場合、外務省は絶対許可しません。以前、朴大統領のお姉様が日本の病院に転院なさりたいということで、外務省に特別に交渉した時ですら、許可されなかったんですからね」
再び私は心の中で、その「許可しない」という否定的な言葉を打ち消しました。否定的な言葉が生み出す否定的な思いが心を弱くさせ、前向きな思いを踏みつぶしてしまうのですから。私は、心の中でこう祈りだしました。
―主よ、あなたにはおできになります。どうか、あの支店長と次長の心を動かしてくださり、主人を何としてでも連れ帰ることができるように、取り計らってください。お願いします。お願いします。―
支店長は、「ま、無理だと思って、諦めていただきましょう」と言い残して帰りました。
しかし、私は失望していませんでした。なぜならイエス様は「わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう」(ヨハネ14・13)、「あなたの信じたとおりになるように」(マタイ8・13)とおっしゃるのですから。
この聖句をそっくりそのまま受け入れて、帰国の道が開かれるように、再び朝から晩までイエス様の名によって祈り始めました。それから三日目。日本航空から電話が入りました。
「王さん。航空券のご用意ができましたので、お越しください」
(まぁ。やっぱり信じていたとおりになったわ)
身も心も浮き立つような思いでした。
「ご主人のために臨時のベッドを作りますので、三人分の航空券が必要ですが、それでもよろしいですか」
「ええ、ええ、もちろん。乗せてくださりさえすれば、五人分でも十人分でもお支払いしますわ」と勢い込んで答えてしまってから、はっとわれに帰りました。懐には、そんなお金はありません。でも心は平安でした。
幼い子供は、泥んこ遊びをして服が汚れてしまった時、「お母ちゃん。この服よごれちゃったから、着替えさせてください」などといちいち改まって頼んだりはしません。母親が服を用意しておいて、着替えさせてくれるのを知っているからです。私はそんな幼な子と同様で、天のお父様は、必要ならお金だろうが品物だろうが備えてくださると信じていました。
病院に戻ってみますと、主人が会長をしていたソウル医師会の中国人医師が、30人ほどお見舞いに見えていました。
「奥様。王先生は帰国できるんですか」
「ええ。お陰様で飛行機に乗せていただけることになりまして」
一同驚きの声を上げ、「信じられない」と口々に言いました。
「ただし、私と二人で四人分の航空券代が必要なんです」
「心配いりません。奥様。お金は私たちが払わせていただきます」
医師会の方々は、さっそく会員に呼びかけて、その頃の日本円にして58万5千円ものお金を集めてくださいました。そのお金で航空券を買うことができたばかりか、1カ月半の入院費の支払いも済ませることができました。さらに長女の大学の費用として借りていた10万円まで返済でき、それでもまだ余りました。
神様は、その残額で「海苔を二千枚買う」という知恵までくださいました。後日、この海苔は東京で10倍もの値段で売れました。神様のなさることは、まさに至れり尽くせりでした(続きは来週掲載予定)。
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(本文は森本春子牧師の許可を得、「愛の絶叫(一粒社)」から転載しています))
森本春子(もりもと・はるこ)牧師の年譜
1929年 熊本県に生まれる。
1934年 福岡で再婚していた前父の養女となる。この頃、初めて教会学校に通い出す。
1944年 福岡高等簿記専門学校卒業。義母の故郷・釜山(韓国)に疎開。
1947年 1人暮らしを始め、行商生活に。
1947年 王継曽と結婚。ソウルに住み、三男二女の母となる。
1953年 朝鮮戦争終息後、孤児たちに炊出しを続け、17人を育てる。
1968年 ソウルに夫を残し、五児を連れて日本に帰る。
1969年 脳卒中で倒れた夫を日本に連れ帰る。夫を介護しながら日本聖書神学校入学。
1972年 同校卒業、善隣キリスト教会伝道師となる。山谷(東京都台東区)で、独立自給伝道を開始する。
1974年 夫の王継曽召天。
1977年 徳野次夫と再婚。広島平和教会と付属神学校と、山谷の教会を兼牧指導。
1978年 山谷に、聖川基督福音教会を献堂。
1979年 この頃から、カナダ、アメリカ、ドイツ、韓国、台湾、中国、ノルウェーなどに宣教。
1980年 北千住(東京都足立区)に、聖愛基督福音教会を献堂。
1992年 NHK総合テレビで山谷伝道を放映。「ロサンゼルス・タイムズ」「ノルウェー・タイムズ」等で報道され、欧米ほか150カ国でテレビ放映。
1994年 「シチズン・オブ・ザ・イヤー賞」受賞。
1998年 「よみがえりの祈祷館」献堂。
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