~詐欺に遭って一文無しに~
私の行商は、軌道に乗りつつありました。当時、韓国の女性たちには、肌のシミが取れて色が白くなるという日本製のクリームに人気がありました。私は、その化粧品を大量に仕入れては、釜山から汽車で3時間ほどの漁村に背負って行きました。
海で働く海女さんたちの肌は、いつも潮風に吹かれて浅黒く日焼けしています。彼女たちの願いは、少しでも色が白くなることでした。それで、私のクリームは飛ぶように売れました。でも代金を現金で払える人はひとりもいませんでした。そこで、干しわかめやいりこなどの海産物と物々交換することにしました。
それらの品を、トラックに山積みにして送って貰い、東来温泉のホテル街で売りました。これが大当たりして、わずか一年で、日本円に換算して一千万円もの大金を手に入れたのでした。その頃タイミングのいいことに、その温泉街に、新しいマーケットができることになりました。私はその中の一店舗を買い、化粧品の店を出すことにして行商をやめました。
いよいよ開店という矢先に、張さんという韓国人一家が、私の家の前に引っ越してきました。張さんはトラック一台分もの魚を、「お近づきのしるしに」と言って近所に配ったので、皆、どこの一流人士が引っ越してきたかとびっくりしていました。私は人をあまり疑ったりしない性分だし、張夫人がとてもいい人に思えたので、すぐに仲良しになりました。
ある日、張夫人は私にこんな頼み事を持ちかけてきました。
「主人が、アメリカから船便で商品を仕入れてきたのだけど、関税が払えないので、積み荷が釜山港でストップしているの。関税分だけ融資してくれる人、誰かいないかしら。利子を一割つけてお返しするから」
頼まれると、ことわれない性分というのも困ったものです。ちょうど間が悪いことにと言うべきでしょう。慶尚南道道府の局長夫人が、つい先日、私にこう言われていたのを思い出したのです。
「主人に内緒でヘソクリがあるの。誰か必要な人がいたら、融資したいんだけど」
よせばいいのに、私は保証人になって、この二人の仲介役をしてあげたのでした。関税分の支払はそれで足りたのに、近所の奥さんたちや警察署長夫人にも、張夫人を紹介してあげて、結局、融資総額一千万円ほどの保証人になってしまったのでした。
間もなく張夫人が、「いよいよ明日、積み荷を下ろすことができるので、お借りしたお金は利子と一緒にお返しします」と言ってきました。私もそのつもりでいました。
翌朝、町中の人たちが張さんの家の前に集まって、何やらガヤガヤとしゃべっていました。私は、何事かと思って近寄っていきました。
「どうしたんです」
「あら、あなたも夜逃げしたんじゃなかったの?」
「えっ、何で私が逃げるんですか?」
「張さんが二億ウォンもの大金を、町中の人から借りまくったあげく、昨日の晩夜逃げしたのよ」
まさか。寝耳に水とはこのことを言うのでしょう。
「いえ。あの人はそんなことする人じゃありません。お金は絶対返してもらえます」
念のため、私が隣家の奥さんの融資分に見合う担保として、張夫人から預かっていた金の指輪とかんざしを宝石店で鑑定してもらうと、二つとも金メッキの偽物でした。町中の人たちは、張さん一家を呪って口々にののしっていました。
「あんな家の子供なんか、四人とも車に轢かれて死んじまえ」
私は、耳をふさぎたくなる思いでした。この期に及んでも、張夫人は決して人をだますような人ではない、と信じていたのでした。
ともかく、保証人になったばっかりに、当時の額面で1,110万円もの大金を肩代わりしなければなりませんでした。やむなく買ったばかりの店舗を売って返済に充て、一夜にして一文無しになってしまいました。債権者たちは、私の家から水がめまで持ち去っていきました。それでも、五万円の未払い金が残りました。
三カ月後、張さんは別の町で、闇ドルをだまし取った罪で逮捕されました。張夫人に少しでもいいから借金を返してもらおうと思った私は、その町まで出かけました。
ところが行ってみますと、彼女は出産を控えた体で子ども四人とお手伝いさんともども、三日間何も食べていないというありさまで震えていました。家の中を見回しても、毛布一枚と置時計しかありませんでした。これでは、お金を返してもらうどころではありません。きっぱりとあきらめました。それどころか、日々の食事にもこと欠く身重の張夫人のために、お米一俵を買ってあげて帰ってきたのでした。
この一件から、人がどんなにお金を追いかけても、神様のみこころはそんなところにはないのだと思い知りました。神様は「人の負債を保証してはならない(箴言22・26)」とおっしゃられました。この聖句に従って歩むべきだったのです。
~一転「玉の輿」に乗る~
もう商売はこりごり。これからは貿易会社の事務員にでもなって、地道に働いていこう。それにしても、五万円の借金をどう返していったらいいのだろう。事務員の薄給では、何年かかったら返せるのか見当がつきません。
―主よ、あなたはこの借金を返すすべをご存知です。御手にお委ねしますから、最善の方法をもってお導きください。―
イエス様は生きておられるから、祈れば必ず答えてくださる。祈っているうちに、平安が与えられました。町会長に履歴書を預けて、就職口を捜してもらい、間もなく貿易会社を経営する中国人の李社長と、町会長宅で面接することになりました。その日は、台湾の副大統領の部下だという李さんという方も、面接に立ち会いました。
終わると、李さんは驚くようなことを言い出しました。
「ちょっとお待ちください。今日は、あなたをある方にお引き合わせしたいのです。これはまあ、お見合いというわけですな。いや、もちろん、お決めになるかどうかは、あなたのご自由ですから、一応食事だけでもご一緒してください」
またまた、寝耳に水のような話でした。警戒心が湧いてくるとともに、驚きを通り越して無性に腹が立ってきました。
頼みもしないのに、何の予告もなく、見ず知らずの男性といきなりお見合いさせるなんて、ずいぶん人を馬鹿にした話ではないでしょうか。いくら私が天涯孤独で無一文だからといって、ひどい。第一、相手の男性の名前も年齢も職業も知らされていませんでした。怒りたくなるのは、当たり前ではないでしょうか。もっとも、戦前の日本では、写真だけのお見合いで、互いに選ぶ余地などないという結婚をした人も少なくはありませんでしたが。
「いえ。結構でございます。私、今日は時間がございませんの。また、日を改めて出直してまいります」
「まあ、そう堅苦しくお考えにならなくてもいいじゃありませんか。ひとつ、お気軽に」
強引に言いくるめられ、何か強い力に押し出されるようにして、着替えもせずそのまま、お見合いの席を設けてあるという店に行ってしまいました。そこは、結婚式場も備えた「新世界」という豪華なレストランでした。
広い中庭には、高級乗用車が何台も停めてあって、りっぱな風采をした中国人たちの人垣から、談笑する声が聞こえてきました。田舎者の私は、何か場違いなところに迷い込んでしまったようで、気おくれしてしまいました。
(そうだ。帰るなら今のうちだ)
急いで玄関を出ようとした時、先ほど中庭にいた中国人紳士の一団がどやどやと入ってくるので、逃げ道を塞がれてしまった格好でした。まごまごしていると、李さんがつかつかとやって来ました。
「さ、入って入って。成るか成らぬかは時の運ですよ」
そう言うなり、私の背中をグイグイ押しながら、用意されていた部屋に連れていきました。もう、こうなったら腹をくくるしかない。でも人の歩みは「時の運」などというような、行き当たりばったりの偶然に左右されるものではなく、神様が予め定めておられるのだ、と心の中で反論していました。
「さ、さ、こちらへ」
勧められるまま、中国料理のならんだ回転式テーブルに着きました。向かい側には相手の男性が座っているのですが、恥ずかしくて顔を上げることもできませんでした。料理がくるくると回ってくるたびに、隣席の方が気を利かせて私の小皿に取り分けてくれるのですが、箸をつけるどころではなく、うつ向きっぱなしでした。
今の私でしたら、勧められるまま次々とたいらげたと思います。なにしろ山谷で二十数年伝道しているうちに、肝っ玉がすっかり大きくなってしまったのですから。でもその頃の私は、今の私からは想像できないほどシャイな小娘でした。とはいえ、心の中で神様に祈ることだけはできました。
―主よ。このお見合いは御心でしょうか。私の一生をあなたの御手にお委ねしますから、どうぞ最善をなしてください。―
神様に完全に委ねるなら、揺るぎない平安が与えられ、祈り求めたことは、時が来たら成就するのです。この平安は、イエス様が昇天なさる時、遺産として残してゆかれた平安です。
祈りを捧げたあと、その平安がやってきました。それで、このお見合いは神様の定められたことに違いない、という確信を得ました。そうなると、たとえ相手の名前も職業も年齢もわからなくても、迷いがなくなります。
そこで初めて目を上げて、相手の顔を見ることができました。
(まあ、何て美男子なのかしら)
整った顔立ちの、まるまると太った人で、人のよさそうな笑顔に、温厚な人柄が表れています。私の夫になる人だから、神様がそのようなひいき目に見させてくださったのかもしれませんが。席を立った時にわかったのですが、身長は六尺余り(約180センチ)の偉丈夫で、押し出しも申し分ありませんでした。
名前は、王継曽。クリスチャンの漢方医で41歳でした。元・中国国民党の陸軍少将で、蒋介石総統府付武官をしている弟さんとともに、ソウルの中華民国大使館の官邸に住んでいるそうです。後で聞かされたことでしたが、当時この人は、戦時中の台湾と中国の複雑な政治情勢下で、暗殺される恐れがあったので、韓国に亡命していたのでした。
仲人役の李さんは、「韓国だけじゃない。中国広しといえども、王先生の右に出る資産家はいませんよ」と言いました。いくらなんでも、これは中国の「白髪三千丈」式のオーバーな言い草だと思いましたが。李さんはそう言ってから「どうですか」とたたみかけるようにして、このお見合いの返事を促しました。私は、たった今祈って平安が与えられたので、「おまかせします」とだけ申し上げました。
さあ、これで結婚が決まったという訳で、何とこのお見合いの席が即、結婚披露宴になってしまったのでした。まったく、人の運命が決まるのは時間の問題です。
少し前まで日本では、女性の結婚を「永久就職」などと言ったものでした。私は、町会長に就職先を紹介してもらうつもりだったのに、それがきっかけで「永久就職」することになろうとは、夢にも思っていませんでした。
こうして、1948年3月に結婚しました。主人は、たしかに釜山市内でも有数の資産家でしたから、李さんの言い草もまんざらオーバーではありませんでした。結婚式の翌日、主人は新妻の私にプラチナ、ダイヤ、翡翠等の指輪17個と、シルクの晴れ着を五着もプレゼントしてくれました。私は無一文の生活から、いきなり「玉の輿」に乗ってしまったわけでした。
例の、借金五万円の返済方法は神様にお委ねしていたのですが、神様は結婚という方法でもって、主人を通して完済させてくださいました。新居は、主人の住んでいた中華民国大使館官邸の一角で、そこに三カ月間暮らしました。その後ソウルに移り、洋館を新築して漢方医院を開業しました(続きは次週掲載予定)。
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(本文は森本春子牧師の許可を得、「愛の絶叫(一粒社)」から転載しています))
森本春子(もりもと・はるこ)牧師の年譜
1929年 熊本県に生まれる。
1934年 福岡で再婚していた前父の養女となる。この頃、初めて教会学校に通い出す。
1944年 福岡高等簿記専門学校卒業。義母の故郷・釜山(韓国)に疎開。
1947年 1人暮らしを始め、行商生活に。
1947年 王継曽と結婚。ソウルに住み、三男二女の母となる。
1953年 朝鮮戦争終息後、孤児たちに炊出しを続け、17人を育てる。
1968年 ソウルに夫を残し、五児を連れて日本に帰る。
1969年 脳卒中で倒れた夫を日本に連れ帰る。夫を介護しながら日本聖書神学校入学。
1972年 同校卒業、善隣キリスト教会伝道師となる。山谷(東京都台東区)で、独立自給伝道を開始する。
1974年 夫の王継曽召天。
1977年 徳野次夫と再婚。広島平和教会と付属神学校と、山谷の教会を兼牧指導。
1978年 山谷に、聖川基督福音教会を献堂。
1979年 この頃から、カナダ、アメリカ、ドイツ、韓国、台湾、中国、ノルウェーなどに宣教。
1980年 北千住(東京都足立区)に、聖愛基督福音教会を献堂。
1992年 NHK総合テレビで山谷伝道を放映。「ロサンゼルス・タイムズ」「ノルウェー・タイムズ」等で報道され、欧米ほか150カ国でテレビ放映。
1994年 「シチズン・オブ・ザ・イヤー賞」受賞。
1998年 「よみがえりの祈祷館」献堂。
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