~生母からもぎ離されて~
私は1929年11月1日、熊本県の矢部という町で生まれました。八か月の未熟児だったせいで体が小さく、ひ弱で臆病で、いろんな病気を一人で引き受けてきました。夜中にトイレに行くのも怖くて、いつも母に付き添ってもらうほどでした。未だに、身長は150センチ足らずです。
母は、私を産んで間もなく離婚しました。どんな事情があったのか、父がどんな人だったのか、私はまったく知らされていません。
私が5歳の頃、母は再婚しました。義父は日本に帰化した韓国人で、安東と名乗っていました。でも、この結婚も結局うまくいきませんでした。祖母は義父と折り合いが悪く、母と私は、祖母の家で暮らすようになりました。
やはり5歳の頃でしたが、ある日私が一人で遊んでおりますと、義父がやってきて祖母と母に気づかれないようにして、私を博多の自宅に連れて行ってしまいました。あの頃、熊本から博多までは、急行列車でも何時間もかかったと思うのですが、まったく覚えていません。
昔は、子供を誘拐してサーカスか旅芸人に売りとばしたりする「人さらい」という犯罪がありました。母は、忽然と姿を消してしまった娘を、てっきり誘拐されたと思い八方手を尽くして探しました。しかし、誰も目撃者がおらず、何の手がかりも得られなかったということでした。
義父は、私の母と別れたあと、金南順という18歳の韓国人女性と再婚して、博多の町で洋品店を営んでおりました。義父は、血のつながりのない私を自分の養女としました。私を奪い取ることで、母や祖母に対する恨みを晴らそうとしたのでしょうか。あるいは、短い間一緒に暮らした私が、本当にかわいくてならなかったのかもしれません。
いきなり見知らぬ土地に連れていかれた私は、母を慕って泣いたはずです。でも、「おまえのお母さんは、おまえを捨ててしまったんだ。今日からは、この人がお前のお母さんだよ」と言われて、義母を紹介された時、その言葉を真に受けました。ずいぶん、聞き分けのいい子だったわけです。
後年、義父が言うには、その頃の私は肌が抜けるように白く、りんごのように赤いほおをした愛くるしい子どもでした。義父は私を「アリラン春子(チュンジャ)」と呼んでは、どこに行くにも連れ歩きました。近所の人たちも、みんなそう呼ぶようになりました。
「アリラン」というのは、韓国の伝説に出てくる峠の名称で、民謡にも歌われ、日本でも昭和初年の頃流行し、日本語で歌われていました。義父は、商才があったとみえて、洋品店はなかなか繁盛していました。
~神様が助け、守ってくださる~
博多の町には、私より年上の父方の従姉妹がおり、私たちはたちまち仲良しになりました。従姉妹は日曜日に、私を市内にあるミッション・スクールの西南学院の教会に連れて行ってくれました。
日曜学校の先生が何をお話しされたか、まったく憶えていないのですが、「神様は私の力、私の城」という子供讃美歌を、先生の弾くオルガンに合わせて繰り返し歌っているうちに、その場ですっかり憶えてしまいました。
-神様は、いつも私のそばにいてくださり、私を助け、守って下さるんだわ―
この讃美歌を通して、揺らぐことのない信仰が、心の奥深くに一気に植えつけられたのでした。熊本にいた頃は、夜中に一人でトイレに行けないほど臆病だったのですが、この時から天下に何も怖いものがなくなってしまったかのようで、この讃美歌を大声でよく歌いました。
7歳の冬、風邪で寝込んでいた義父が、夜になって40度の高熱を出してしまいました。朝までは放っておけません。その頃は電話もなかったので、かかりつけの内科医に往診をお願いするには、片道30分の道を迎えに行かなくてはなりませんでした。当時、わが家の周りは、夜になると街灯ひとつなく真っ暗でした。
義母は、「あんな真っ暗な道、気味が悪い」と言って行きたがりません。私は言われるまでもないことと思い、ひとりで迎えに出かけました。すでに夜9時を過ぎていたと思いますが、提灯の明かりを頼りに歩き出しました。
♪ 神様は私の力です、城です…。♪
大好きなこの讃美歌を大声で張り上げて歌っていると、何も怖いものなどなくなりました。内科医は私がひとりで迎えに来たと知って驚きました。
この時の体験から、神様はたしかに私を守り、私の力となってくださるという信仰が強められ、日曜学校に行くのが楽しくなりました。きれいな絵のついた豆カードがもらえるのも楽しみで、そこに書かれていた聖句を覚えたものでした。
義母は気性が激しい人でした。新婚間もない家庭に舞い込んできた縁もゆかりもない幼女に、夫の愛情を横取りされかねないと思うと、ねたましく腹立たしかったのでしょう。ただ義父の手前、そんな感情を少しは抑えていたようです。私が来て間もなく、腹違いの弟や妹が生まれました。そうなると義母は、私を露骨に邪魔者扱いし、無視し始めるようになりました。
韓国には、土着の民族宗教・シャーマニズムが根強く残っていました。ことに農村では家を建てる時の方角、病気の癒し、縁談、運勢、悪魔払い等について、祈祷師や巫女に拝んでもらうことが、何の疑いもなく行われていました。義母は、そんな宗教の一つを信仰していました。
そのため、私が教会に熱心になるにつれ、嫌悪感をつのらせるようになっていきました。そして義父の目の届かないところで私に、「このヤソ(クリスチャンのこと)。ヤソを捨てろ!教会なんかに行くな!」と怒鳴り続け、半狂乱になって私を叩くようになりました。
しかし、私は日曜の朝になると、何とかして教会に行きたい一心で、「お友達のところに行ってくる」と嘘をついて家を抜け出しました。その嘘がばれた時、義母は私を床に突き倒して、髪の毛を持って引きずり回しました。その後も、こんなことが繰り返されたためか、私の髪の毛は若い頃から薄く、帽子でカムフラージュしてきました。
まま子いじめの本能に、理屈抜きのキリスト教嫌いの心情が加わるのだから、怒り方も尋常ではありません。ふつう、このようにして幼い頃からいじめられ続けていったなら、攻撃的で冷酷なひねくれ者になるか、劣等感の塊と化して、万事につけ自信を持てない未熟な人格ができてしまうでしょう。
幸い、私はそのどちらにも陥らなかったのです。それは、生まれつき楽天的で屈託のない性格に加えて、大好きな神様が、どんな時でも私を守ってくださると信じていたからだと思います。…(続きは次週掲載予定)。
(本文は森本春子牧師の許可を得、「愛の絶叫(一粒社)」から転載しています)
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森本春子(もりもと・はるこ)牧師の年譜
1929年 熊本県に生まれる。
1934年 福岡で再婚していた前父の養女となる。この頃、初めて教会学校に通い出す。
1944年 福岡高等簿記専門学校卒業。義母の故郷・釜山(韓国)に疎開。
1947年 1人暮らしを始め、行商生活に。
1947年 王継曽と結婚。ソウルに住み、三男二女の母となる。
1953年 朝鮮戦争終息後、孤児たちに炊出しを続け、17人を育てる。
1968年 ソウルに夫を残し、五児を連れて日本に帰る。
1969年 脳卒中で倒れた夫を日本に連れ帰る。夫を介護しながら日本聖書神学校入学。
1972年 同校卒業、善隣キリスト教会伝道師となる。山谷(東京都台東区)で、独立自給伝道を開始する。
1974年 夫の王継曽召天。
1977年 徳野次夫と再婚。広島平和教会と付属神学校と、山谷の教会を兼牧指導。
1978年 山谷に、聖川基督福音教会を献堂。
1979年 この頃から、カナダ、アメリカ、ドイツ、韓国、台湾、中国、ノルウェーなどに宣教。
1980年 北千住(東京都足立区)に、聖愛基督福音教会を献堂。
1992年 NHK総合テレビで山谷伝道を放映。「ロサンゼルス・タイムズ」「ノルウェー・タイムズ」等で報道され、欧米ほか150カ国でテレビ放映。
1994年 「シチズン・オブ・ザ・イヤー賞」受賞。
1998年 「よみがえりの祈祷館」献堂。
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