ティプラディ氏は西欧教会の現状について「かつて有していた(神の国の)権勢をもはや有してはいない状況にあります。教会は弱い人々の立場に立つときに歴史的にうまく機能していました」と指摘した。また歴史的にもキリスト教徒は少数派に属していることが普通であり、それは今日でも同様のままであることを指摘し、「パウロ使徒やその他1世紀に活躍した使徒たちを見ますと、教会の拡張の業は留まることなく、ローマ帝国のみならずペルシャ帝国にも広がっていきました」と述べた。
6世紀にはイングランドに最初のケルト人宣教師が派遣され、7世紀には中国で教会が発展しており、大主教まで存在するようになった。ティプラディ氏は「教会は福音を通して世界中に発展していきました。教会にある力によってではなく、弱い人の立場に立ち、迫害と苦しみを乗り越えたからこそ発展することができたのです。福音主義キリスト教は何かの統制下のあるところでは発展していきません。しかし自由な発想をもって活動をできるところで発展していきました。福音主義キリスト教は宗教の自由のために議論を重ねる強い伝統を有してきたのです」と述べた。
西欧教会の現状が衰退期に差し掛かっていることについて、ティプラディ氏は「教会は自虐的になることから一歩前に動き出していかなければなりません。私達は知的にも感情的にも現状にあきらめを感じてしまっていないでしょうか。そのようになるとき事はどんどん悪化してしまいます。私たちが思い悩むとき、窮地にまで押し出されてしまいます。おそらくそれが人生というものの在り方でもあり、私たちが乗り越えていかなければならない問題であるといえるでしょう。キリスト教は西欧文化において最優先の地位を占めていましたが、今はそうではなくなってしまいました。おそらく(私達欧州教会は)過去にしがみつこうとするのではなく、神様が与えてくださる「とき」というものがあると考えるべきでしょう」と述べた。
ティプラディ氏は欧州教会はすでに利用可能な福音宣教の手段をより力強く利用していき、職場であろうと社会的な場であろうとどこにいようと福音を伝えられるように人々を訓練していくことが重要であるとし「私たちは福音にある確信を取り戻す必要があります。伝え方にひとつの単純な図式というものはありませんが、福音主義というのはひとつの変わらない真理の上に存在しています。私たちは十字架の民であり、復活の民でもあります。この十字架と復活の真理が私達の社会に転換して伝えられていかなければなりません」と述べた。