ストット氏は20世紀の福音主義を形づける人物として知られてきた。同氏は英ロンドン郊外にある聖バルナバカレッジの自宅にて近親者に囲まれ讃美歌が歌われる中穏やかに昇天した。
英国出身の英国国教会神学者としてストット氏は、1974年のローザンヌ誓約の文書作成委員長を務めた他、一般大衆が理解しやすい形で複雑な神学について書き表した著書50冊以上を世に残した。
「キリスト教の基礎(1958)」はストット師の書物の中でも最も人気のある書物の中の一冊となっており、60言語以上に翻訳され世界中の人々に読み親しまれてきた。他にも「論客キリスト(1970)」「今日のキリスト者が直面する諸課題(1984)」その他ストット師自信が自信の書物の中で最良の作品であるとした「キリストの十字架(1986)」などが有名である。
2005年には、ストット氏は「TIME」誌で世界で最も影響力のある人物トップ100位にも選ばれた。福音主義指導者としてストット氏の信仰が世界中に知られている一方、ストット氏は「ジョンおじさん」として多くの人々に親しまれてきた。
ストット氏の昇天の知らせがなされるや否や、世界中の福音主義指導者らが追悼メッセージをただちに発表した。米福音主義指導者ビリー・グラハム氏は「福音主義の世界で最も偉大なスポークスマンのひとりを失いました。もっとも近しい親友であり助言者であった方を失いました。私が天に召されるときに、彼に再び会うのを楽しみにしています」と追悼メッセージを発表した。
グラハム氏はローザンヌ誓約に署名を行う際の国際会議開催でストット氏とともに多大な貢献をしてきた。ローザンヌ誓約は世界福音主義キリスト教徒のマニフェストとしての役割を担う歴史的な文書となった。グラハム氏の孫息子であるチュリアン・チヴィジアン氏はツイッター上で、「(グラハム氏は)ストット氏の昇天の知らせを聞いて涙を流し、しばらく言葉を発することができないでいました」と伝えた。
米カリフォルニア州メガチャーチのサドルバック教会牧師のリック・ウォレン氏は追悼メッセージで「ストット氏は最も近しい助言者のひとりでした。つい最近英国に行き、病床にあるストット氏の近くで祈りを捧げてきたところでした。大きな衝撃を受けています」と発表した。
世界福音同盟(WEA)代表のジェフ・タニクリフ博士はストット氏の教えに個人的に深い影響を受けてきたことを証しし、「ジョンおじさんは私自身の神学的洞察の発展に非常に大きな影響を与えました。彼の聖書的正統性に関する考察、世界宣教やキリストのからだとしての一致についての考察は私自身の霊的な成長の基盤となるものでした」と声明文で伝えた。ストット氏は1951年のWEA憲法制定時の序文を書き表した主な人物でもあった。同文書によってWEAの存在の主たる3つの目的や聖書的フレームワークが形成された。
ストット氏が世界諸教会に遺したひとつの大きな遺産としては宣教支援団体「ランガム・パートナーシップ」の設立とその米国版であるジョン・ストット・ミニストリーの開設にある。同ミニストリーでは福音説教者を養成し、福音主義思想家のための博士課程教育の基盤を築き、世界中の牧会者のための福音主義の書物を提供してきた。
「ランガム・パートナーシップ」国際ディレクターのクリス・ライト氏は追悼メッセージでストット氏がキリストのような性格をもった説教者であったことを証しし、「モーセのように、彼は神様がその民のために与えられた最も偉大な指導者のひとりでした。そして同時に地球上でもっとも謙遜な人物のひとりでもありました。彼はまさにキリストの中にある美しさを体現した人物であり、キリストを誰よりも心から愛していました」と述べた。
ローザンヌ運動議長を務めるダグラス・バーゼル氏および国際ディレクターのリンゼイ・ブラウン氏は「私たちはジョン・ストット氏が他界されたことに悲しみを覚えています。しかしストット氏の生涯を通じて示された同氏の偉大な信仰の確信と希望は彼の中で本当のものとして現されて、ストット氏の生涯における働きがそれを証明してきました」と共同で追悼メッセージを発表した。両氏は、ストット氏の最大の功績は、「聖書的信仰、新約聖書を土台とした福音主義の信仰を断固として貫き、その信仰の在り方について明確に文書化した」ところにあると追悼メッセージに明記した。
リンガム・パートナーシップはジョン・ストット氏を追悼する動画をユーチューブ上で公開している。