1890年に来日し、松江バンドと呼ばれる日本の純福音派の源流を生み出したバークレー・フォーエル・バックストン(Barclay Fowell Buxton、1860〜1946)の生誕150年と来日120年を記念し、第51回バックストン聖会が19日から21日まで、東京都渋谷区の日本基督教団渋谷教会で開かれた。第1日目の19日午後6時半の集会で主講師の工藤弘雄氏(日本イエス・キリスト教団香登教会牧師)は、「主が発せられるとき、そのお言葉はそのようになる」とイエスの権威を強調し、マタイによる福音書5章に示された8つの祝福を説いた。
工藤氏は、バックストンが直筆の「マタイ伝ノート」の中で、マタイによる福音書5章から7章まで続く山上の説教を8章から見直していることを強調した。8章でバックストンは、イエスの口から発せられた言葉がすべてその通りになっている、つまりイエスの言葉と業がひとつとなっていることに着目した(8・3、13、26、32等)。工藤氏は、山上の説教についても、「単なる言葉ではなく、主イエスが立たれ、お言葉を発せられるとき、聖霊の恵みと力によって、私たちもそのようになった、それをさせていただくという恵みにあずかる」と説いた。
また、山上の説教全体の受け止め方について「(山上の説教は)私たちの内面の罪を暴き、私たちがどうすることもできない罪人だと示す。そして、イエスの十字架の血潮を示し、豊かな聖霊をもって、きよめへと導いてくださる」と語った。
工藤氏は、マタイによる福音書5章3節から12節について、「8つの祝福をひとつの人格におさめられたクリスチャンの絵が示されている」と表現し、「(その絵が)バックストンの中に投影されているようにも見えるし、(その人格の形成が)私たちにも起こることを信じる」と語った。
その人格をもつキリスト者は、神なくしては生きられず(心の貧しい人々)、神の御心にかなう悲しみと、自らの内面的な汚れに対する悲しみ(悲しむ人々)、砕かれた従いやすい心(柔和な人々)、神のかたちに変えられたいとの強い願い(義に飢え渇く人々)をもち、弱く苦しむ人々を助け(憐れみ深い人々)、いかなるときも神の臨在を覚え(心の清い人々)、どの人ともひとつとなって平和をつくり出し、義のために迫害を受けると説いた。
バックストンのノートには8つの祝福の箇所に「このような人格は迫害を駆り立てる」とのメモがある。工藤氏は、「しかし、きよめの恵みに生きている者たちこそ、地の塩、世の光だとイエスはおっしゃっている」(5・13〜16)と強調し、「己をはっきりと表さねばならないときにしり込みする者でなく、8つの祝福に生きる恵みに生かされていきたい」と述べた。
また、自らの力に頼らず(心の貧しい人々)、自らの心の汚れを嘆き(悲しむ人々)、砕かれた従いやすい心をもって主の御心に喜んで従い(柔和な人々)、キリストのようになることを激しく求める(義に飢え渇く人々)姿に、きよめの恵みにいたる道が示されていると説いた。
さらに、「義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる」(5・6)とあるように、8つの祝福には、きよめの恵みをいただけるとの約束も示されていると説いた。工藤氏は、「いつかではない。やがてではない。いま、それを期待しなさい」とのジョン・ウェスレーの言葉を引用し、8つの祝福に示されたきよめの恵みを指し、「これらのものに神は私たちをつくり変えてくださる」と強調した。
最後に工藤氏は、「伝統は灰を受け継ぐことでなく、炎を受け継ぐこと」と語り、「(バックストン)先生の中にある炎を受け継いで、21世紀における私たちの働きを全うさせていただきたい」と力を込めた。