先回の「イエスの不人気」は、本来のイエス伝から外れて余談をしてしまったのだが、一度ズレたはずみでもう一度ズレてみたい。
最近は坂本龍馬の大人気と彼についての著作が書店にあふれているのにイエスが話題にされない不満と私自身「イエスについて」うまく書けない苛立ちが募って「イエスの不人気」をコラムにした。
今日は毎日曜、説教をしなければならない牧師の悩みに同情してもらうために書いてみる。みなさんに、日曜日の説教ほど難しいことはないことをアピールしたいのだ。
牧師が語ることは決められている。それは、イエスを語ることだ。とにかく、キリスト教という看板をかかげているのだから、イエス・キリストを語らなければ看板に偽りあり、ということになる。
ところが、その朝牧師が語るイエスについて、ほとんどの教会員は知っているのだ。牧師のつらさは彼らがすでに知っていることを語らなければならないということなのだ。中には聖書やキリスト教書を熱心に学ぶ「いやーな信徒」がいて、時には牧師より知っていたり、牧師の聖書知識の不足を指摘したりするのだ。
福音は英語でGOOD NEWSと言うが、信徒の耳にとってNEWS性はほとんどないのである。だから、聖書を朗読したときに、多くの信徒は「この話知っている」「この説教7回聞いた」という反応で、熱心に聞いてくれない(イエスのついてのコラムだって同じかも知れない。とにかく頭脳は新しい情報を求めているのだ)。
だから、牧師はジョークを飛ばしたり、面白い例話を使って何とか聞いてもらうのだが、それでは「イエスを語る」ことにはならない。イエスの話はつまらないから、冗談と例話を交えて、というのではあまりにも情けない。良い説教や面白い説教はできても、笑わしたり泣かせたりできても、イエスを語る説教は極めて難しい。
今年になって私の著書『信仰とは何ですか』が出版され、来週には『希望とは何ですか』が出版され、10月頃『愛とは何ですか』が出版されるだろう。11月には『希望学入門―世界中で語り継がれてきた希望物語』が一般書店から出版される。
これらの本はひと月あれば初稿が書ける。ある出版社にはすでに未出版の4つの原稿を手渡している。ところが、『イエス伝』は書けない。7年間取り組んでいるのに書けない。また、日本人が書いた『イエス伝』があるのか、私は知らない。イエスについての説教集とか、断片的なものとか、研究書とかなら数は少なくないが、イエス伝は見つからない。
遠藤周作氏はイエスについていろいろ書いてくれた。数多くは書いてくれたが、すべて断片的なものであり、イエスに関しての研究発表のような感じを受ける。三浦綾子氏も愛情をこめてイエスと聖書について書いてくれた。この二人の作家はキリスト教の伝道に大きな影響を与えたのだが、不思議に『イエス伝』は残してくれなかった。もしかしたら、大文学者でも『イエス伝』は難しいのかも知れない。
いつか、「渡部一男の『イエス伝』」、「塩島伸夫の『イエス伝』」、「塩崎周の『イエス伝』」、「袴田大地の『イエス伝』」、「宮本はるかの『イエス伝』」などが、書店の書棚にズラリと並ぶことを夢見る。
いつか、「イエスの人気」が坂本龍馬を追い越す日が来なければならない。
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平野耕一(ひらの・こういち):1944年、東京に生まれる。東京聖書学院、デューク大学院卒業。17年間アメリカの教会で牧師を務めた後、1989年帰国。現在、東京ホライズンチャペル牧師。著書『ヤベツの祈り』他多数。