イエスは一匹オオカミではなかった。彼はチーム・プレイヤーであった。それどころか、イエスは四六時中人々の中に自分をおいた。彼が一人で時間を過ごす時は祈りの時だけであった。
イエスは人好きである。
「だれでも、重荷を負って疲れている者は、わたしのもとに来なさい。わたしはやすませてあげよう」と語った。イエスの口ぐせは「わたしのもとに来なさい」であった。また「わたしに来る者は拒まない」とも言った。また、「わたしは罪人を招くために来た」とも言った。罪人とは、当時の社会から締め出された「悪人」とレッテルを張られた人々のことだ。
また、ニコデモやアリマタヤのヨセフのようにユダヤ人の教師でもあり、議員でもある当時のインテリ階級者とも付き合った。何とかしてイエスの粗を探し、やりこめようと企んだパリサイ人シモンの食事の招待にも応じた。
つまり、彼は誰とでも話せ、誰とでも付き合えたのだ。だから「だれでも、わたしのもとに来なさい」と言えたのだ。誰の招待をも断らなかった。付き合う時間は神のことばを蒔くチャンスなのだから。
人々と時間を過ごしたとき、イエスは絶えず教えていたわけではない。食べたり飲んだり歓談したり、自分を楽しんだのだ。パリサイ人たちはイエスに「大酒のみの食いしん坊」と批判を浴びせたが、恐らくイエスはよく食べよく飲んだことに間違いないようだ。
イエスが禁欲主義者ではなかったことは明らかである。
断食したことはごく少ないようだ。当時、信仰の教師たちは盛んに断食し、断食が信仰のレベルのバロメーターのようだった。人々は信仰熱心なイエスや弟子たちが断食しないのをいぶかった。「ヨハネの弟子たちやパリサイ人たちは断食するのに、あなたの弟子たちはなぜ断食しないのですか」。
彼らの批判にイエスは答えた。「花婿が自分たちと一緒にいる間、花婿に付き添う友だちが断食できるでしょうか。花婿と一緒にいる時は、断食できないのです」。つまり、信仰するとは結婚パーティーに出席するような楽しいものなのだ、と主張したのだ。
米国でユダヤ人男性医師とクリスチャン女性医師の結婚式の司式をしたことがある。パーティーは男性の両親の豪邸の庭で行われた。テーブルの上にはありとあらゆる食べ物とワインが並び、バンドの音楽と共にスクエア・ダンスが繰り返された。笑い声と歌声が満ち、夜中の2時頃まで続いた。食べて飲んで歌って踊って、ひたすら楽しむパーティだった。
イエス時代の結婚パーティーは通常1週間も続いた。「わたしの宗教は結婚パーティーのようなものだ。そんなときに、断食するのはおかしかろう」とイエスは切り返したのだ。福音書に描かれているイエスはパーティー好きだ。イエスも食べたり飲んだり歌ったり踊ったりすることが好きで、しばしば大声を挙げて豪快に笑ったことだろう。
イエスの人間好きは、ナザレでの家庭や村生活から育まれたものだろうと思う。特に、母や父との関係、また大勢の弟や妹たちとの幸福な生活の産物だろう。ナザレの一体感のある小さな村生活もイエスを人間好きにした要素かも知れない。
イエスはどんな人の中にも素晴らしい特性を見ることができた。荒々しいガリラヤ湖の漁夫にも、村八分にされている取税人にも、娼婦の中にも、悪霊に憑かれて発狂状態にある者にも、イエスは埋もれているが輝いているものを見出すことができたのだ。
彼は社会が貼るレッテルによってではなく、痛みや悩みや汚れの背後奥深く潜んでいる、個々人の気高さを見ることができた。イエスとのかかわりによって、それらの隠されたものは、やがて輝けるものとして現われたのだ。
イエスが人好きであったのは、個々人が持っている美しさが見えたからだろう。イエスは人々を心ゆくまで楽しんだのだ。
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平野耕一(ひらの・こういち):1944年、東京に生まれる。東京聖書学院、デューク大学院卒業。17年間アメリカの教会で牧師を務めた後、1989年帰国。現在、東京ホライズンチャペル牧師。著書『ヤベツの祈り』他多数。