父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。(ルカ23:34)
もう一つの声
オランダのコーリー・テン・ブームは、世界的に有名な婦人です。
第二次世界大戦の時、彼女の家族はユダヤ人をかくまったという理由で、ドイツの収容所に入れられました。彼女の両親と姉妹は、残忍な拷問に耐え切れず、収容所で死んでしまいました。しかし、彼女は拷問に耐え抜き、九死に一生を得、オランダに帰りました。そして神学を学び、イエス・キリストに身を献げ、世界中を回って、神の愛を語るようになったのです。
彼女は、神の愛を語る時、いつも「もう一つの声」が語り掛けてくるのを聞きました。それは「数多くの人々を虐待したドイツ民族が、罪責感にあえぎ、苦しみ、悩んでいるから、そこへ行って赦しの福音を語れ」という声でした。
彼女はかつてのつらい経験から、ドイツにだけは行きたくなかったのです。しかし、強く促す神の声には逆らうことができず、仕方なく出掛けて行きました。
赦しの愛
コーリー・テン・ブームはドイツの人々に、神の赦しの愛を語りました。
イエス・キリストが十字架にかかって死なれたのは、すべての人々の罪を背負い、赦すためでした。
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23:34)と自分を釘づけた人々のために、キリストは祈りました。「七度を七十倍するまで赦しなさい」(同18:22)とも教えられました。
敗戦の中で罪責感にあえぎ、霊肉ともに病んでいたドイツの人々は、この「赦しの福音」を聞いて、神様に感謝し、喜んだのです。彼女の話を聞いて、多くの人たちが救われました。また、様々な病気が治った人もたくさんいました。彼女が話し終えると、人々は列をなして握手し、挨拶を求めてきました。
注がれる愛
しばらくの間、次々と差し出されてくる手を握っていたコーリー・テン・ブームは、彼女の前に手を差し出している一人の男性を見て、その場に立ちすくんでしまいました。心臓が止まる思いでした。この男こそ、強制収容所で、彼女を裸にし、拷問した兵士だったのです。
その男は、彼女に気づかなかったのです。みんなと同様に、手を差し出していました。彼女は、収容所時代を悪夢のように思い返し、到底、手を差し伸べて握手する気持ちにはなれませんでした。
男が手を差し出している短い時間は、まるで何千年のように思われました。神の愛を語り、勇敢にキリストの十字架の赦しを語った彼女です。しかし、彼女の家庭と青春を無惨にも踏みにじったこの男を、どうして赦すことができるでしょう。
コーリー・テン・ブームは心の中で祈りました。「主イエス様、私はどうしても、この男を赦すことはできません。どうか私を助けてください」
その時、イエス・キリストの御声を聞いたのです。
「わたしが、わたしを十字架に釘づけた人を赦したことを、あなたは知っているでしょう。また語ったでしょう。早く手を差し出して握手しなさい」。その声を聞いたコーリー・テン・ブームは、鉄の塊のように重くなった手を差し伸べ、その男と握手しました。
まさに、その瞬間でした。神の愛が、豊かに注がれたのです。神の愛が全身を覆い、彼女は涙を流し、心の底から、その男を赦すことができたのです。彼女は、自分の体がまるで十年若返ったような気持ちがしました。
開放する愛
あなたは今、心の中に、どうしても赦すことのできない憎しみを持っていませんか。
聖書は、「赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます」(ルカ6:37)と教えています。
人の過ちを赦すことは、決して容易なことではありません。しかし、
第一に、赦すことは、神様の命令です。
第二に、赦すことは、自分自身の心のために必要です。
第三に、赦すことによって、隣人と温かい関係を結ぶことができます。
神様はそのように、赦す人の祈りを聞き、幸せで包んでくださいます。
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23:34)と、十字架上で祈ったイエス様が、あなたの心の中に、住んでくださいます。
榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、エリムキリスト教会主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。