牧師として、ゆりかごから墓場まで、常に人生の節目に立会う機会が多くあります。出産の時は、産まれたばかりの赤ちゃんと誰よりも早く出会い、健やかな成長を祈ります。
しかし最も厳粛な祈りの時は、この世に生を受けたいのちが果てる、臨終の時です。生涯の終わるそのときに、わずか30秒の祈りでイエス・キリストを受け入れる方も多くあります。
日曜日にあるご夫婦が、高齢の母親とともに教会を訪れました。礼拝が終わると、ご主人が奥様に、母親を連れて牧師の所から離れているようにと催促しておられました。何事かとお話を伺うと、53歳の弟がすい臓がんの末期で集中治療室に入っており、時間の問題なので教会に葬式をお願いに来たとのこと。母親にはまだこのことを知らせていなかったようでした。詳しく事情をお聞きした後ともに祈り、翌日、三重県の病院まで車を走らせました。
集中治療室には、奥様も付き添いでおられました。短く福音を語り、今イエス・キリストを信じて受け入れるようにと話すと、ご夫婦で心を開いて信じる祈りをなさいました。そして、信じる者に永遠のいのちが与えられた感謝の祈りを短くささげました。
それからしばらくたったある日の朝、散歩をしていると、すばらしい朝焼けの青空が目の前に広がっていました。家に帰ると、天に召されたとの報告が電話で届きました。
三重県から奈良の教会まで行くのは大変なので、友人の新築の教会を借りて葬儀をすることになりました。出棺の時、家族7名とともに祈り、その場でなんと家族全員がバプテスマの恵みに預かりました。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒の働き16:31)との御言葉の実現でした。
彼は、イエス・キリストを信じて永遠のいのちを与えられ、天国へと召されました。高齢の母親をはじめ、奥様と長男、兄の家族4人が、クリスチャンとして召された彼を天に送る幸いを経験できました。家族揃っていまも教会員として礼拝を守り、クリスチャンとなった喜びの中で感謝の日々を送っておられます。
神のなさることは、みなその時にかなって美しいことを、わずか30秒の祈りの中で経験しています。主を信じる祈りで人生を閉じ、新しい天国の人生へと凱旋される方々を思いながら、新しい福音宣教の情熱に心燃やされる祈りへと日々導かれています。
また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。」(黙示録14:13)
榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、エリムキリスト教会主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。