マザー・テレサの設立した「神の愛の宣教者会」の修道士デービット・ロバーツさんを招いての講演会「小さくされた人々と歩む〜マザー・テレサにならって」(社会福祉法人日本キリスト教奉仕団、財団法人日本クリスチャンアカデミー共催)が5日、早稲田奉仕園スコットホールで開かれた。秘書として生前のマザー・テレサを近くから見ていたロバーツさんは、「彼女の活動の力は神の愛、神の恵みです」と証言した。
ロバーツさんは56年、インドのチェンマイで熱心なカトリックの家に生まれた。81年に神奈川県の福祉施設で5カ月間の研修を受け、帰国後、「神の愛の宣教者会」で活動を始めた。
あるときは、全身にうじがわき、ねずみに食われるままに路上で死んでいく人を引き取り、施設で最期を看取った。多くの人々の死に直面し、何度も奉仕をやめたくなったという。だが、自分がここに留まることを望んでおられる神を信頼しようと決意し、留まり続けた。
「自分にできることは、大きな愛のこもった小さなことだけ」。マザー・テレサは、神がともにおられるのだから、どれだけのことをしてあげたかよりも、その行為にどれだけの愛が込められていたかが大切なことなのですと、よく周囲に話していたという。
「この世に一つの光があります」。マザー・テレサを修道院から押し出し、貧しい人々へ向かわせたのはこの光だったとロバーツさんは語る。
マザー・テレサは48年、16年間勤めた修道院を出て医学を学び、貧民街へ飛び込んだ。子どもの教育や病気で苦しむ老人の救済に着手し、50年には「神の愛の宣教者会」を正式に発足。次々と協力者が集まり、65年にはベネズエラを皮切りに、活動はインド国外にまで拡大した。
その後マザー・テレサは、79年のノーベル平和賞をはじめ数多くの賞を受賞するが、この世の名誉には一切関心を示さなかった。「ただ神の栄光のために受けた」とロバーツさんは証言する。
マザー・テレサの秘書を勤めていた88年、ロバーツさんは同会の活動を反対する人々とマザー・テレサが直接対話をする場面に同席した。マザー・テレサの誠実で私欲のない、思いやりに満ちた態度に心を打たれた反対者はその後、積極的な支援者に変えられたという。
奉仕に参加したいと願う多くの日本人に対してロバーツさんは、「貧しい人に愛の行為をすることは非常に痛みを伴うことであり、この痛みを理解し、乗り越えることがまず必要なステップ」とし、「大事なことは、貧しい人たちに実際に手を差し伸べてあげることです」と語った。
また、欧米や日本などの先進国に見られる「精神的貧しさ」について、「(目に見える貧しさより)かえってこのほうが癒しにくい」「希望を失い、神への信頼を失った人々を癒すには、忍耐が必要です」と語った。
集会の最後には、カルカッタでのマザー・テレサの活動を記録した映像や、82年のイスラエルとパレスチナの武力衝突で身動きがとれなくなっていたベイルートの患者たちを救出し、介抱する映像などが上映された。