新しい奉仕活動を始めたときは誰でも非常に高い志を持っている。この教会をこんな風にしたい、地域を巻き込んであんなこともやってみたいと熱意に満ち溢れている。ところが実際に活動を始めてみると思うようにいかない。何から手をつけて良いのかわからず、なかなか人も集まらない。仕事は単なる日々の繰り返しになり、日曜日の夜から月曜日までの時間が仕事を忘れさせてくれる唯一の楽しみという生活になると危険だ。伝道に対して抱いていた志が少しずつだが着実に低下していくからだ。
熱意を持って伝道をするのと、熱意なく伝道をするのとでは成果に差が出る。熱意によって活動時間と活動内容が有効活用されるからだ。
熱意ある人は活発に伝道するが、行動が熱意を生み出すこともある。やりたくない仕事でも、とりあえず始めるとやる気が出てくるものだ。心理学的にいえば、この現象は人間の脳が自分の行動に影響を受ける仕組みになっていることと関係する。
熱意の回復によって人間は行動的になり、行動は新しい熱意を生み出す。気分が沈んでいる日の翌日こそ、とびきりの早起きをし、明るく大きな声で「おはようございます」とあいさつをする。自分の思い描く姿を演じていると、自分の心持ちが行動についてこようとする。気分を問わず規則正しい生活を続けていると気力が早く回復するのは、このためだ。
どうしても気分が乗らず、自ら行動できないときは、行動的な環境に身を置くと良い。熱意に刺激を与えて志を養うには、熱心で活発な人とつきあうのが効果的だ。いつも前向きに仕事に取り組んでいる人と一緒に過ごしていると、自分の考え方も影響を受けてくる。行き詰まりを感じていたことにも、もう一度挑戦してみようという気持ちが起こってくる。
自治体や経済団体が主催する異業種交流の会もお勧めしたい。(ただし、愚痴と言い訳ばかりのお慰み会と化している場合もあるので注意が必要だ。)牧会も、いわば社会のなかで人間を対象に福音をお届けする仕事としては企業と同じ側面を持つ。他産業での成功の法則が見えてくるとき、そこには聖書の教える本質的なメッセージが含まれていることがほとんどだ。どうやって新規顧客を集めているか、どうやってリピーターを増やしているか、という目標を持った経営者との交流を深めれば、自分の奉仕の改善点や新しい展望が開発できるだろう。
牧師とは孤独な存在だ。誰も手は貸してくれない。自分から行動するしかない。才能、境遇など条件は人それぞれだが、時間は誰にも平等に与えられており、熱意は自分次第でいくらでも他者を圧倒できる。熱意を保っていつも前向きでいられるよう仕組みをつくることは牧会の最優先課題といっても過言ではない。伝道の始めは信仰と救霊への熱意だからだ。