「神の国の為に、或は家、或は妻、或は兄弟、あるいは両親を棄つる者は、誰にても今の時に数倍を受け、また後の世にて永遠の生命を受けぬはなし」(ルカ18章29〜30節)
教会の集会に導かれ、聖言(みことば)に接し祈っているうちに先の聖言にとらえられるようになりました。32年5月のことでした。今まで通り会社に勤務するかたわら、神様を伝えていこうか、足りないながらも私の考えも能力も時間も、神様のためにささげて進むべきか、ひたすら祈っていました。
主イエスの再臨の近きを知り、大勢の人々が主イエスを信じないで過ごしているのを見るにつけ、私のすべてを献げて従わないかぎり、この世のことでは満足できないことを知りました。私はこの時よりすべてを捨てて主イエスのために進むように導かれてきました。8月には献身したく思い、家に「献身したいからよろしく頼む」とたよりをしたら大騒ぎを起こしてしまいました。9月の全国大会に行きひたすら早く献身できるようにと祈ったことでしたが、群の分裂とともに献身の道がとざされた感じでした。
神様は、姉が家の後継をするように導いてくださり、それとともに新しく献身の聖言を与えられました。33年8月25日会社から帰り祈っているうちに、「己が身を神の悦びたもう潔き活ける供物として献げよ」(ローマ12章1節)の聖言を与えてくださいました。神様は私のすべてを要求していてくださることを知り、いよいよ神様に献身する確信がきました。それからというもの、主の再臨の近いときに、自分のために働いているのが満足できずに過ごしてきました。それでも神様の栄光をあらわさねばと信じ働いてきました。34年春の全国大会には献身の意志表示をし、約1年教会の奉仕をさせていただいて過ごしてきました。
4年前に大きな希望を持って、会社で名をあげてやろうと都会に出てきた私でしたが、罪より救われキリストの愛にとらえられて進むべく導かれていることを幸いに思います。この世の快楽名誉もキリストの愛にはかえることができません。この上は、聖霊にとらえられて「祈って、祈って、祈って」主のために尽くさせていただきたく思っています。
主は「汝は我に従え」(ヨハネ21章19節)となお聖言をかけて導いてくださいます。
(1960年 昭和35年1月20日)
工藤公敏(くどう・きみとし):1937年、長野県大町市平野口に生まれる。キリスト兄弟団聖書学院、ルサー・ライス大学院日本校卒業。キリスト兄弟団聖書学院元院長。現在、キリスト兄弟団目黒教会牧師、再臨待望同志会会長、目黒区保護司。