救われてから私は、神様のために役立たせていただきたく、集会につとめ、聖書を読むことも、イエス様を伝えることにも励んで来ました。しかし私の心の内には人が用いられると妬む心と、汚れた思いがあり、このため随分苦しみました。同じように悔い改め、お祈りしていけば解決できると思い、ノートに書き出しては、早く悪しき思いより解放されたいと願ってきました。
長い期間、悪い思いから解放され、きよめられたと喜んでいたのもつかの間、また苦しむということを何回も通されました。お金がないより、友達から捨てられるより、物品がないより苦しいことでした。私はこの悪しき思いからきよめられるために、イエス・キリストを見上げねばならないことを示されました。不信仰をいだき、自分にのみ頭を突っ込んでいるとき、悪しき思いに占領されることを知りました。
「もはや、我生くるにあらず、キリスト我が内にありて生くるなり」(ガラテヤ2章20節)
私は罪そのものですが、キリストが私の生まれながらの罪にかたむく性質を十字架につけてくださったことを単純に信ずることができました。そして今は私の心の中に住んでいてくださり、信じて進むときにあらゆる罪に勝ち進むことを体験できました。
「義人は信仰により生くべし」(ローマ1章17節)の聖言が自分のものとなりました。信じて進んでいくときに神がうちにあって助けてくださいますので、神に反逆する悪しき思いより救われます。
我心静かなり、嵐はやみて、イエスきみの聖声のみ、さやかにきこゆ(聖歌573番)の賛美のごとく、たえず主の声を聞こえるようにしていただきたく、祈り進んでいます。
内住したもう聖霊様のみに頼っていくときのみ、主イエスにあって聖く進めることを経験しています。
私のうちに主がいよいよ臨在をあざやかにしてくださり、この身をもって主イエス様の生きたもうことを世人に紹介する器とさせていただきたく祈っています。
(1960年 昭和35年1月25日)
工藤公敏(くどう・きみとし):1937年、長野県大町市平野口に生まれる。キリスト兄弟団聖書学院、ルサー・ライス大学院日本校卒業。キリスト兄弟団聖書学院元院長。現在、キリスト兄弟団目黒教会牧師、再臨待望同志会会長、目黒区保護司。