東京での「元気の出る聖会」を終わり、ホテルで突然身体が不自由になり、救急車で病院へ。集中治療室で左脳内出血と診断され、緊急入院になりました。「わたしは主であって、あなたをいやすものである」(出エジプト記15:26)のみことばを思い、「主よ。助けてください」と祈りつつ、医者の手当てを受けました。
イエス・キリストの奇跡の大半は病のいやしであり、最後の約束に、「病人に手をおけば病人はいやされます」(マルコ16:17)とあり、いつもそのようにして祈ります。
数年前になりますが、ある地域にトラクト配布を終えた翌日、高齢の男性が訪ねて来ました。イエス・キリストの十字架の福音を語り、「アーメン。信じます」とともに祈りました。彼はアーメンと同時に私の手を握ると、自分の胸の上に置きました。
「私は医者です。心筋梗塞で死を宣告されています。治るようにお祈りしてください」と、自分の手も添えました。
「主よ。わたしは主であってあなたをいやす者ですとの約束を信じます。この兄弟は心筋梗塞です。私たちの患いを身に引き受け、痛みや病を十字架に背負ってくださいました。その打たれた傷によって、私たちはいやされました。今、その十字架と復活の福音を兄弟は信じて救われました。どうぞこの身体にある心筋梗塞を、イエス・キリストのお名前によっていやしてください。愛する兄弟。あなたのたましいがいつも恵まれているようにあなたがすべてのことに恵まれ、かつ健康であることを、イエス・キリストのお名前によって宣言します。アーメン」
大きな声でアーメンと言った瞬間、「心筋梗塞は治った!」と、ふたりとも同時に感じ、「ありがとうございます。いやされました。感謝します。ハレルヤ」と告白しました。
病院で検査を受けた結果、心筋梗塞は治っており、直後にバプテスマを受け、若者は幻を老人は夢を見る、との聖書のことばに励まされて、70歳で家も新築したり、ボランティアで診療奉仕をしながら恵まれた日々を過ごし、毎週の礼拝を喜び守り、祝福に包まれて天に凱旋して行かれました。
そのほかにも、手をおいて祈りいやされた方々も多くあり、走馬灯のように思い出したりしながら、集中治療室で声にならない声で祈り続けました。
神のことばは生きていて力があり、いやしの約束は真実、イエス・キリストの十字架の打たれた傷は、精神や心をいやすだけでなく、身体の病をもいやす約束であることを、さらに確信しつつ、「わたしは主であってあなたをいやすものである」「その打たれた傷によっていやされました」と、告白するだけの祈りでした。
そのときから早いもので10年、主の恵みにより後遺症もなく、普通は右側に不自由を感じるのだそうですが、右手で字も書くことができ、足はゆとりの一万歩で鍛えられ続けています。
左脳内出血でしたがことばにも不自由はなく、「酒も飲まず、タバコも吸わずに生きてきてよかったね」と、治療した医師のことばのように、若い日に救われた恵みにも感謝する毎日です。
イエス・キリストのお名前によっていやしを祈ったり、あるいは祈ってもらったら、「アーメン。ありがとうございます。健やかになりました。感謝します。ハレルヤ」と、病のことを考えないで、生きることにエネルギーを用いることです。ことばにも態度にもすべてのことに感謝するとき、神の栄光は輝き続けることを信じ、霊肉ともに健康であることを祈ります。
平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。(テサロニケ人への手紙5:23〜24)
榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。