9月にドイツからお客様が来ました。10年ぶりに日本へやって来た30歳代のカップルです。
私がドイツで生活を始めた最初の3ヶ月間一緒に暮らしながら、お世話になっていた家族のお嬢さんが、彼女の旦那様と一緒に2週間かけて日本を旅行することになったのです。
今回の旅行のことを知らされて私の生活は一変!ひたすら家中を片付ける毎日となったのです。まるでお掃除ロボットのように、必死で Eine schoene Wohnung「きれいな住まい」を作っていました。Dieser Besuch「この訪問」はもちろん、いなかの妹が訪ねて来るような嬉しいことなのですが、その反面7月の最終週に彼女から日本へ来たいとの連絡があってからは、9月に彼らが来るまでに我が家を Eine schoene Wohnung にしなければならないというプレッシャーで頭の中が一杯でした。
掃除はそれ程苦手に感じていない私ですが、片付けは得意な方ではありません。とにかく何を捨てて良いのかがわからなくなってしまうのです。Das ist schlimm! 「やっかいなことです!」けれども色々と考えていると Die Zeit「その時」がやって来てしまいます。ですから今の時点で「使っていないもの」も思い切って処分しました(Die Zeit が来たら、後悔するのはどちらの方か、と考えたのです)。
我が家は日頃からお客様をお迎えすることがほとんどないので、いつもは自分たちの気の済むままに暮らしていました。けれどもお客様をお迎えする時にはいつも、Eine schoene Wohnung でできるだけおもてなしの心を表現したいと思うのです。
部屋の広さはともあれ、きちんと片付けられて掃除の行き届いた部屋に招かれた時に Der Besuch「訪問客」は、Der Gastgeber「招いた人」がこの日のために時間をかけて準備し、彼(彼女)の訪問を心から歓迎していると感じることができるでしょう。
私にとって妹夫婦のような Dieses Ehepaar「この夫婦」は、10年前東京で婚約を決め、そしてドイツへと戻って行きました。ですから2人にとって今回のこの旅行は、結婚10年目の大変意味深いものだったのです。そんな2人の気持ちを思うと、「でいるだけたくさんの良い思い出を作ってあげたい」と思うのが、やはり親心、ではなく姉心(?)というもので、私なりに一所懸命歓迎の気持ちを表したいと思っていました。
9月半ばに帰国した2人は、旅先でとても親切にして下さった日本人に感激し、少しの旅の疲れとともに、たくさんのすてきな思い出と感謝の気持ちをドイツへと持ち帰って行きました。
今回の彼らの旅行を身近に感じながら、私も彼らと一緒に日本の良いところを再発見することができました。私はこのことを彼らにとても感謝しています。毎日の生活をとても忙しく過ごしている私たちは、様々な発見をすることもできずに、感謝する気持ちを忘れがちです。けれども、そのような生活ばかりでは寂し過ぎませんか?
心が乾いたままでいると心に小さな傷が付いた時、その傷口はどんどん広がって行ってしまいます。ですから時には涙が流せるくらい心が潤っていれば、心の傷も早く癒されるのではないでしょうか。
時には心を切り替えて、ものごとを別の角度から見てみることも、必要なのかもしれません。自分や誰かの強いところばかりでなく、弱い部分を見つめる強さも必要なのです。
どのような時にも、私たちは神様を喜んでお迎えする心の準備をしていたいものです。私たちのことを覚えていて下さる神様は、私たちが神様のもとへと訪ねて行った時にもきっと “Herzlichen Willkommen!”「よく来たね!」と喜んで迎え入れて下さるでしょう。
【by Tokyoterin - 東京在住の女性クリスチャン】