特別暑さの続いた夏も過ぎ去って、読書の秋・収穫の秋がやって来ました。一日に聖書を四章読み続けると一年で旧新約聖書を読み終えます。それも無理ならば、一日二章読むと二年間で、一章ですと四年で読み終わります。継続は力と言われますので、聖書を通読していない方はこの秋からでも、聖書を読む良い習慣をつけられたら如何でしょうか。
ジョージ・ミューラーは聖書を百回以上読み通し、読むたびごとに新鮮であったと告白しています。世界最大の宣教教会であるカナダのピープルズ・チャーチの創立者、オズワルド・スミス博士は、少年時代に一人の先輩から「この本はあなたを罪から遠ざけ、罪はあなたをこの本から遠ざける」というモットーを与えられ、それ以来新しい聖書を求めるたびにこれをその扉に書き続けているということです。読書の秋、聖書は誤り無い神の言葉、生活の規範、生活の教科書です。
日刊新聞の一ページ分の字数はヘブル人への手紙全体の字数とほとんど同じであり、二十四ページ分では、新約聖書全体の字数とほとんど同じということです。聖書を読むことにより、聖書の尽きない深みに達することが出来ます。この書には神の知恵と知識の無限の宝が隠されています。詩篇の記者が「私は大きな獲物を見つけた者の様にあなたの御言葉を喜びます」と歌っています。
読書の秋、御言葉の深い味わいに導かれましょう。
目黒教会では、御言葉の暗唱会を十年間で三十七回しました。暗唱している人は「どんなにか私は、あなたのみ教えを愛していることでしょう。これが一日中、私の思いとなっています」の心境です。
収穫の秋・救霊の秋です。主イエスはペテロの持ち舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれました。イエスは小舟を足場として、岸辺に群がる民衆に御言葉の網を打ち掛けられました。海辺で、山の上で、野原で、湖上で何処でもいつでも福音を伝えられました。プロの漁師であったペテロたちでしたが、一晩中漁をしましたが、一匹の魚も取れませんでした。疲れを覚えながら網を洗っていました。主イエスは「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚を取りなさい」と言われました。私たちにも主は言われます。深みに漕ぎ出しなさい。日本聖書協会訳では「沖にこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」、永井訳(新契約聖書)では、「深き処に船を持ち出せ、かつ漁のために汝らの網を下ろせ」と訳されています。
夏までの救霊の働きが思うように行かなかったと、失望しがっかりしてやる気を無くしておられるでしょうか。主は言われます。それでももう一度、深みに漕ぎ出して福音を伝えるように。
アラン・レッドパスは、この深みは「祈りの深みです」と言われました。今までよりも更に神と交わり、人を執りなす点で深められることです。密室の祈りを持つと共に、教会の祈祷会に出席し、心を合わせる祈りに漕ぎ出しましょう。謙遜の深み、敬虔の深み、愛の深みに導かれ実を結ぶ者とされることです。人が救われるために必要なのは、一致の祈祷です。
「深みの伝道―キリストのための信徒の動員」(総動員伝道研究会)を見ると「豊かな刈り入れは、豊かな種蒔きの結果である」と記されています。豊かな種蒔きというのは、すべてのクリスチャンを主のために生きた証し人として動員することです。何処でもいつでも主を証ししましょう。
工藤公敏(くどう・きみとし):1937年、長野県大町市平野口に生まれる。キリスト兄弟団聖書学院、ルサー・ライス大学院日本校卒業。キリスト兄弟団聖書学院元院長。現在、キリスト兄弟団目黒教会牧師、再臨待望同志会会長、目黒区保護司。