過去60年間、ゲリラ戦による武力闘争が繰り広げられてきたコロンビアでは、推定90万人もの人々がその紛争で命を落とした。パストラ・ミラ・ガルシアさんも、この武力闘争により多くの愛する家族を失った。1960年には、4歳だった彼女の目の前で父が惨殺され、2001年には愛する娘が、05年には18歳の息子が次々に殺害されたのだ。しかし、彼女は殺害した者たちを許しただけではなかった。これは彼女の驚くべき証しだ。(第1回から読む)
ある日ガルシアは、自分の父を惨殺した男を偶然見つけたのだった。
「私が彼を見つけたときの、彼の廃人のような生活状況を考えるなら、彼の食べ物に毒を入れるか、他の方法で彼の命を奪うのは非常に簡単なことでした。しかし幸いなことに、私は母からあのメッセージ(「娘よ、私たちには、その人に復讐する権利はないわ。彼を傷つける権利もないのよ。悪に対して悪で報いてはだめよ。かえって善をもって悪に打ち勝つのよ」)を受け取っていたのです」
「私は帰り道で座り込んでしまい、泣きながら祈っていました。そして、私は決意しました。病人を訪問する人々と一緒に彼を訪れ、彼の治療を助け、食べ物と衣服を持っていくことをです。私たちは頻繁に彼を尋ね、長い間そうしました」とガルシアは振り返って、敬虔な母が彼女に語った言葉について語った。
「私はこの経験から、非常に重要な教訓を学びました。父を殺した男の母親が、ある日息子の彼にこう尋ねました。『お前は、お前の世話をしてくれているあの人が誰の娘だか分かるかい。彼女はお前が作り出したたくさんの孤児の一人だよ。彼女はパチョ(フランシスコ)・ミラの娘なのさ』と。男はそれ以来、二度と私の目を見ることができなくなりました。私はそのとき、罪悪感は肉体的な痛みよりも時にはつらいこともあるのだということを学びました」
2005年、ガルシアが息子の納骨堂を訪れた3日後、道の途中で、けがをして苦痛に泣き叫ぶ若者を見つけた。その男は非合法の武装組織のメンバーだった。ガルシアは息子のように若い彼を自宅に連れて行き、食事と息子の服を与えたのだ。
「この若い男性は息子のベッドに横たわり、壁の写真を見て『数日前に俺が殺したやつだ。なんであいつの写真がここにあるんだ?』と尋ねました。私と娘たちは皆ショックを受けました。事情が分かると少年は泣き始め、話し始めました。私は愛する神に助けを求めて祈りました。彼の話を死んだ息子の母親の心で感じることがないように、彼の話を死んだ息子の母親の耳で聞くこともないようにと求めたのです」
「私はその若い男に『これはあなたのベッドで、ここはあなたの寝室ですよ』と言いました。少年は泣いて話しました。あまりに彼が泣きじゃくるので、まるで私たちが彼を打ちのめしているかのようでした。私は彼に電話を渡し、『どこかにあなたのことを心配しているお母さんがいるはずよ。電話をしてあげなさい』と言いました」
ガルシアはその後、コロンビアに和解のためのセンターを設立した。こんなにも問題を抱える国で、被害者と加害者の間の癒やしの道筋を促進することに焦点を当てて活動している。
父親のあだに愛を実践すると決意したとき、彼女は泣き叫んで祈った。聖書の教えを知っていることと、それを実践することとでは、雲泥の差がある。彼女が決意したように行うのは決して簡単なことではない。だからこそ私たちは祈るのだ。神の助けが必要なのだ。そして、そのガルシアの真実な祈りは神に届いたのである。結果として、これほどまでに美しいキリスト者の証しが紡がれたのだ。聖書は言う。
「罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました」(1ペテロ2:20、21)
人が大きな苦しみを乗り越えてキリストの御足跡に従うとき、そこには麗しいキリストの命が流れるのだ。ガルシアのような主の弟子が、人々の心に潤いをもたらすキリストの香りを放ち、力強くコロンビアの人々をキリストのもとへと導くように祈っていただきたい。
■ コロンビアの宗教人口
カトリック 82・1%
プロテスタント 7・8%
英国教会 0・02%
土着の宗教 2・9%
◇