パストラ・ミラ・ガルシアさんは、憎悪と暴力に直面しながらも、キリスト教徒としての愛と許しを過激なまでに貫き、コロンビアで最もよく知られる敬虔な女性の一人となった。
同国は今も何十年にもわたる容赦ない暴力の後遺症に苦しんでいる。過去60年間、マルクス主義ゲリラ、政府軍、極右民兵による武力闘争が繰り広げられてきた。
最大のゲリラ集団との物議を醸す和平協定が成立した2016年までに、推定90万人もの人々が紛争で死亡し、700万人のコロンビア人が避難を余儀なくされた。彼女は、この武力闘争の最中、愛する家族の多くを失った。しかし彼女の過激なまでの愛は、愛する人を殺害した者たちを許しただけではなかった。これは彼女の驚くべき証しだ。ガルシアはこう語る。
「1960年4月4日、私の父フランシスコ・ミラは政敵によって殺されました。9人の子どもたちが父の処刑を目撃することを強要されたとき、私は4歳でした。彼らは母を押しのけ、父を撃ち、私たちの目の前で首を切り落としたのです」とガルシアは回想した。「1999年、武装勢力の一派が隣家のドアを蹴破ったとき、母は心臓発作を起こして亡くなりました」
2001年、ガルシアは、娘のパオラと5歳の孫が武装勢力に誘拐されたという知らせを受けた。孫は後に解放されたが、娘のパオラは殺害され、帰らぬ人となった。ガルシアは7年間にわたって野原や山々を捜索し、ようやく遺体を発見したのだった。
さらにガルシアの18歳の息子は、2005年に非合法武装組織に15日間拘束された後に殺害された。彼女の弟も、別の事件で拉致され、今なお帰らぬままだ。
家族にこれほどの悲惨な出来事と苦しみがあったにもかかわらず、ガルシアは許すことができただけでなく、愛する者の命を奪った殺害者たちをかくまい、世話までしたというのだ。
実はこんなことがあった。ガルシアの母がまだ生きていたとき、ガルシアがある村で働いていると、父を殺害した男を偶然見つけたのだ。男は自分の家で、およそ人間らしくない、廃人のような生活をしていた。
その男を見つけたとき、彼女は母親にその男で間違いがないか尋ねた。するとガルシアの母はこう答えた。「ええ、娘よ。でもね、私たちには、その人に復讐する権利はないわ。彼を傷つける権利もないのよ。悪に対して悪で報いてはだめよ。かえって善をなして悪に打ち勝つのよ」と。(続く)
■ コロンビアの宗教人口
カトリック 82・1%
プロテスタント 7・8%
英国教会 0・02%
土着の宗教 2・9%
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