人生の指針を持つことは、とても大切なことです。しかし、確かな指針を持って人生を生きる人は案外少ないものです。職場での行動指針ならあるかもしれませんが、人生全体の指針となると、そう簡単には決められないものです。
聖書が私たちに与える人生の指針をまとめてみると、①「神の国とその義の実現」を未来像(ビジョン)とし、②「御言葉の真理」を価値観とし、③「神を愛し、隣人を愛する」ことを使命(ミッション)とし、④「互いに愛し合う」「神と人とに愛される」「人に損害を与えない」ことを行動の指針とする、となるでしょう。
1. 愛と真理
長老から、愛するガイオへ。私はあなたをほんとうに愛しています。愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。兄弟たちがやって来ては、あなたが真理に歩んでいるその真実を証言してくれるので、私は非常に喜んでいます。私の子どもたちが真理に歩んでいることを聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。(3ヨハネ1:1〜4)
ギリシャ語原典と今まで学んできたヨハネの手紙を用いて解くと、1〜2節は「キリストの使徒であり、教会の長老であるヨハネから、うちなる愛によって真実に愛するガイオヘこの手紙を書き送ります。神の愛によって、あなたが魂に幸いを得ているのと同じように、全ての点でも幸いを得て、心身ともに健康であるように祈ります」となります。
神の愛によって信者同士が互いに愛し合うことで、魂に幸いが与えられます。さらに、生活の幸せや、心身の癒やしがそれに伴います。皆で祈り合い、その幸せを実現させることが必要なのです。
3〜4節は「神の家族とされた兄弟たちが、あなたが真理に歩み、御霊に歩んで生活していると証言してくれるので、私は非常に喜んでいます。私が教え育てた霊的子どもたちが、キリストの真理に歩んでいると聞くことほど、大きな喜びはありません」となります。
イエス・キリストを信じ、神の愛によって神の家族とされた人々が、続けて聖霊により真理に歩んでいることが、神の御心なのです。神の子としての信仰生活において、神の国に向かい、聖書に書かれた救い主キリストの真理に歩むなら、御霊に歩み、信仰の義を追求していくことになります。
2. 真理と同労者
愛する者よ。あなたが、旅をしているあの兄弟たちのために行っているいろいろなことは、真実な行いです。彼らは教会の集まりであなたの愛についてあかししました。あなたが神にふさわしいしかたで彼らを次の旅に送り出してくれるなら、それはりっぱなことです。彼らは御名のために出て行きました。異邦人からは何も受けていません。ですから、私たちはこのような人々をもてなすべきです。そうすれば、私たちは真理のために彼らの同労者となれるのです。(3ヨハネ1:5〜8)
ギリシャ語原典と今まで学んできたヨハネの手紙を用いて解くと、5節は「真実に愛する者よ、宣教している旅人たちのためにしたもてなしの数々は、見せかけでない真実な行いです」となります。
6〜8節は「彼らは教会の集まりで、もてなされた愛について証ししました。ですから、御心にかなう行いで彼らを次の旅に送り出して、あなたの立派な信仰を証ししてください。宣教する彼らは、キリストの御名のために出て行き、異邦人から援助を受けていませんので、私たちはこのような宣教者をもてなすべきです。宣教者をもてなすことで、キリストの真理のために彼らの同労者となれる祝福を得ます」となります。
教会にはいろいろな人が来ますが、その中には宣教者もいます。私たちは、キリストの真理のためにその人たちをもてなすべきなのです。宣教者をもてなすことで彼らの同労者となり、同労者としての祝福を受けることになります。
3. 善を見習う
私は教会に対して少しばかり書き送ったのですが、彼らの中でかしらになりたがっているデオテレペスが、私たちの言うことを聞き入れません。それで、私が行ったら、彼のしている行為を取り上げるつもりです。彼は意地悪いことばで私たちをののしり、それでもあきたらずに、自分が兄弟たちを受け入れないばかりか、受け入れたいと思う人々の邪魔をし、教会から追い出しているのです。愛する者よ。悪を見ならわないで、善を見ならいなさい。善を行う者は神から出た者であり、悪を行う者は神を見たことのない者です。(3ヨハネ1:9〜11)
ギリシャ語原典と今まで学んできたヨハネの手紙を用いて解くと、9節は「キリストの使徒ヨハネが教会に対し、少しばかり指示を書き送ったのですが、教会のかしらになりたがっているデオテレペスが、使徒ヨハネの指示さえ聞き入れません」となります。
10節は「手紙で悔い改めないので、私が行ったら教会の権威を用いて彼の地位と行為を取り上げるつもりです。なぜなら、彼は悪い言葉でヨハネたちをののしり、宣教者たちを受け入れないばかりか、同労者となった人々の邪魔をし、教会から追い出そうとしているのです」となります。
11節は「互いに愛する者よ。彼の悪を見習わないで、真理に歩む善を見習いなさい。真理に歩み、善を行う者は、神から出た者であり、真理に逆らい、悪を行う者は、真理の神を見たことのない者です」となります。
教会の権威者になりたがる人は、神の権威に従いたくない人です。謙遜に仕える真理の御霊に従わない人であり、真理である神を見たことのない人です。だから、真理に歩んでいる宣教者たちを受け入れず、聖霊による真理を受け入れている人を追い出します。
真理に従わないクリスチャンの悪を見習わないで、真理に歩むクリスチャンの善を見習いましょう。善を行うクリスチャンは、聖霊により新生した者です。人を先導し、悪を行うクリスチャンは、神を見たことさえない者で、滅びに至る者です。
まとめ
キリストの真理に歩み、真理の御霊に従う者たちには、魂に幸いがあるように、多くの幸いが伴います。心と体の癒やしによる健康があり、教会に愛による喜びをもたらします。
教会に来た、真理に歩む宣教者たちをもてなすことは、真実の愛の行いです。宣教者によってその愛が証しされるなら、それは教会にとって立派な信仰の証しです。宣教者をもてなすことで、私たちもその同労者となり、その祝福を共に受けることになります。
教会の権威者になりたがる人は、神の権威に従いたくない人です。教会を分裂させ、破壊する者です。私たちは、真理に逆らって悪を行う者に見習ってはいけません。真理に歩み、善を行う者に見習いましょう。
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