ある日、青天のへきれきで、自分たちの家の教会を警官隊に襲撃されたモシェンとシミンは、持病のある2歳の娘ともども留置された(※安全のため、人物の本名は変えてある)。精神的な苦痛と尋問や嫌がらせを受けながら、交流期間は18日にも及んだのだった。(第1回から読む)
その後、彼らは裁判日まで保釈されたのだった。やがて彼らは、裁判官らが判決を下したと知らされた。二人とも「体制に反対する宣伝」と「シオニストのキリスト教」を受け入れたとする罪で有罪となった。「シオニストのキリスト教」という用語は、イランの治安機関と司法機関が、キリスト教信仰を政治化し、より重い刑を言い渡すために使用するレッテルだ。
モシェンは1年間の懲役刑を言い渡され、彼らが住んでいた町への立ち入りが禁止された。そうすることで、他の改宗者が彼と話すことができなくするためだ。シミンには罰金が科せられた。そして裁判所で有罪が確定した数時間後、彼女が予想していたことがついに起きた。「病院から電話がありました。私は一方的に解雇されたのです」
モシェンにもシミンにも、できることはもう何もなかった。改宗者のレッテルが貼られた彼らには生きる術が何もなく、信者との交わりも失われ、完全に打ちのめされていた。それでも彼らは、主イエスを礼拝し、主に仕えたいと熱望した。彼らはこれを実現する唯一の方法は、全てを捨ててイランから逃げることしかないと決意したのだ。「それは恐ろしかったです。しかし私たちは、犠牲を払わなければならかったのです」とシミンは語る。
そして彼らは、着の身着のままで、持病のある2歳の娘を連れてイランから脱出する旅に出たのだった。COVID-19のパンデミックの時、彼らは密輸業者の家の狭くて汚い部屋に7カ月間も潜伏していたのだ。それが国境を越えることをより複雑にした。彼らには限られたお金しかなく、いつでも逮捕される可能性が付きまとったからだ。
極めて困難な逃避行だったが、最終的に彼らは近隣の国に逃げることができたのだ。現在はそこで難民として生活している。この不確かで波乱に満ちた道のりの間、シミンらには明日の見通しも全く立たなかったが、イエスを否定して元の生活に戻ろうなどと彼女が考えたことは、一度もなかった。そして神は、彼女と家族に、その憐(あわ)れみを示されたのだ。
「主は私たちが踏み出す一歩一歩に、共にいてくださいました。家族がこれほど長く隠れることは到底、不可能なことでした。そして国境を越えるのには18時間もかかったのです。私たちはずっと他の人々と一緒に、寒く暗いトラックの中に押し込められていました。しかし主に感謝します! 最も心配していた病気持ちの娘は、何とその道中で癒やされたのです! 彼女はその間、ずっとすやすやと眠っていたのです!」
■ イランの宗教人口
イスラム 37・2%
キリスト教 1・5%
無宗教 22・2%
ユダヤ教 0・02%
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