(※イマームとはイスラム教の礼拝を導く宗教指導者。キリスト教でいうところの牧師のような存在。)
かつて敬虔なイスラム教徒だったピーター・アクバルは、神の愛という "呪文" によって人生が根本的に変わってしまった一人だ。
ピーターはインドのムンバイの、イスラムに深く根差した家庭で育った。彼の家族は非常に熱心で、姉は幼い頃にコーランをアラビア語で暗唱したことで表彰されるほどだった。しかし、ピーターの弟であるムスタファが、後になって「あれはイエスの声だった」と分かることになるものに出会ったときから、一家の霊的な旅は劇的な展開を見せたのである。
ある日、街に出ていたムスタファは、彼の名を呼ぶ声を聞いた。「ムスタファ、私を見なさい。私はあなたの神である」。これにムスタファは混乱し、自分が聞いたものは堕落した伝統に違いないと思い、抵抗しようと試みたが、不可解に思うほど、近くの教会にどうしようもなく引き寄せられたのだ。映画館やモスクに入り、それを避けようとしたにもかかわらず、彼の足は教会に運ばれ、そこで彼は、自分が聞いた声はイエスのものであることに気が付いた。
ムスタファの新たな信仰は、当初は家族に気付かれなかったが、彼がモスクを欠席して、アッラーに祈ることを拒否し始めたことで、家庭内で長くつらい論争が巻き起こったのだ。弟の改宗にショックを受けたピーターは、もはやムスタファは兄弟ではないと、絶縁宣言した。
しかし、ムスタファの信仰はすぐに奇跡的な兆候を伴うようになった。彼は人々のために祈り、祈られた者たちが次々に癒やされたのだ。ピーターにとって転機となったのは、ひどい出血に苦しんでいた叔母が、ムスタファに助けを求めたことだった。最初は懐疑的でそれまでムスタファの信仰に反対していた母親が、叔母に対してムスタファに祈ってもらうように勧めたのだ。
ムスタファが祈ると、悪霊現象が顕現し、叔母を通して語り出した。悪霊は叔母から離れないと言い張ったのだ。ムスタファは、誰の呪いで悪霊が来たのかをイエスの御名によって白状させると、悪霊は、叔母と金銭争いをしている隣人の名前を明かした。そしてムスタファがイエスの御名によって悪霊を追い出すと、叔母はたちまち解放され、癒やされたのだ。
この衝撃的な出来事によって、ピーターは自分の知っていること全てに疑問を抱くようになった。イスラム教では、イエスは預言者の一人に過ぎないと教られているが、ムスタファの祈りによって示された力によって、ピーターは自分の考えを変え始めた。彼は今までずっと「聖書には人を惑わす "呪文" が書かれている」というイマームの警告を信じていた。しかし、目の前でイエスの力ある御名の権威を見せられては、聖書に何が書いてあるのかを確かめないわけにはいかなかったのだ。
聖書を読むうちに、ピーターは神の愛の深さを理解し始めた。さらにピーターは、イエスはご自分の弟子たちに、悪霊を追い出す権威をお与えになったことを知った。ピーターの、特にお気に入りの言葉はこれだ。
「それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、『イエス・キリストは主である』と告白して、父なる神がほめたたえられるためです」(ピリピ2:9〜11)
この御言葉はピーターの心に強く響いた。自分の旅を振り返り、ピーターは今、かつて受けた警告に深くうなずいている。「確かにイマームたちは正しかった。聖書には、人間を根本から変えてしまう "呪文" がある。その呪文は、神の愛と呼ばれるものだ」と。
現在、ピーター・アクバルは、牧師としてムンバイのサンタクルズ・イーストにあるグレース・コミュニティー・フェローシップを導いている。
聖書は言う。「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます」(ヘブル4:12)
そう、神のことばは生きていて、力がある。ピーターの人生は、まさにそれを証ししているのだ。インドでは、神の言葉が生きて力強く働いている。インドのリバイバルの継続のために祈っていただきたい。
■ インドの宗教人口
ヒンズー 74・3%
プロテスタント 3・6%
カトリック 1・6%
英国教会 0・2%
イスラム 14・3%
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