前回は、神様によって過去に創造されたさまざまな種類の人類が、互いに「ヘテロス」(異質)であったことを学びました。それによって、過去の世代/時代それぞれに、他の世代/時代とは異なる(ヘテロス)種類の人類(人種、家系)が暮らし、その性質や形態、階級、種類、存在目的において、互いに何の関係もなかったことが推測できます。
今回は、過去に存在したさまざまに異なる種類の人類に関する科学的見解と聖書的見解を見ていきたいと思います。
科学的見解では、過去250万年の間に存在した(「人間」を意味する「ホモ」と名の付いた)人類を8種類発見したとしています。過去250万年の間に、そのような人類が共存し、全て「人間」(ホモ)に分類されるとしているのです。全ての「種」の名前の頭には「ホモ」という接頭辞が付けられています。そして、エバの夫アダム(H120/G444)の子孫である私たちを「ホモ・サピエンス」と名付け、他の7つのタイプの人類が生きて交配していた時代から、既に地上に存在していたとしています。
これら8つの「種」以前の化石も発見されています。それらから、科学者たちは、およそ600万年前にはわれわれ人類につながる最古のものとしてアルディピテクス属が生息し、200万年から400万年前にはより進化したアウストラロピテクス属が出現したとも唱えています。そして、200万年から300万年前にはパラントロプス属が出現したというのが科学的見解です。
しかし、地球が形成された時代について聖書の記述から考察すると、人類が初めて地上に誕生し暮らすようになったのは、地球が形成された約130億年から46億年前のことと推測されます。その原初の人類の祖先であった人が「アルケー」のアダム、すなわち、原初(アルケーG746)の人(アントローポスG444)アダムです。このアダムについては、現代に生きる私たち人類を表す「アダム」(H120/G444)のような具体的な表記が聖書にないので、便宜上、「H〇〇〇」という記号で表したいと思います(〇〇〇は不明であることを表します)。
神様が天地創造の始めにお造りになった原初の人間(アルケーのアダム)は、私たち人類の最初(プロートスG4413)の人間(アントローポスG444)であるアダムとは異なる(ヘテロスG2087)存在でしょう。また、エバの夫であるアダムは、原初(アルケー)の人(G444)から最後の人アダム(H120/G444)に至るまで創造されてきたあらゆる種類の人類とも異なるものとして創造された私たちの祖先(H121/G76)です。
神様によるさまざまな人類の創造は、どれくらい前のことなのか――聖書的見解
もちろん、科学ではいまだ決定的な発見はなされていません。科学的見解では、(エバの夫)アダムの子孫である私たち人類も含めて、これまで発見された8つの種類の人類(ホモ)同士が、ある時期には共存するか交配していたとしています。しかし、エペソ人への手紙3章5節の記述から、そのようなことは決して起こらなかったということが分かります。
神様によって創造されたさまざまな種類の人類はそれぞれ、どのように異なっていたのでしょうか。プラスティック製の椅子、金属製の椅子、木製の椅子がそれぞれに「ヘテロス」(異質)であるように、人類ごとの性質も異なっていたに違いありません。つまり、過去に創造された人類もそれぞれ、その目的や基本的組成が異なっていたことでしょう。
それぞれのDNAには類似点があったかもしれません。全て、同じ創造主つまり製造者(私たちの父なる神様)によって造られたからです。しかし、異なる種類の人類と人類は、交配することも関係することもなかったと考えられるのです。
また、時代をさかのぼって科学的に化石の発見ができるのはせいぜい6百万年前までですが、私たちは、それ以前にも人類が存在したということを聖書から知ることができます。
何十億年も前の「時」(地が創造されたアルケーの時)が始まったときに、サタンは天から投げ出されました。この始めの時には既に、地の面に人々が暮らしていたことがイザヤ書14章12節からうかがい知ることができます(下記は、七十人訳聖書の該当箇所のギリシャ語を DeepAI などの現代の翻訳を用いて直訳したものです)。
どうしておまえは天から落ちたのか、ああ、輝く者よ、暁の子よ。お前は地に切り倒された、ああ、国々を弱体化させる者よ。(標準的な逐語訳)
どうしてルシファーは天から投げ落とされたのか、早起き者は地に落ちた、国々への背徳者よ。(DeepAI 訳)
この「背徳者」という言葉は、サタンが地に投げ落とされた後に、国々を背徳に向かわせる(神様の道から逸脱させる)ように仕向けるようになったことを表しています。
科学的見解によれば、最古とされる人類は未開で、やっと二足歩行ができる程度であったとしています。そして、見つかった最も古い化石を類人猿と結びつけて、人類が類人猿から進化したと主張しているのです。しかし、私たちは、それが誤りであることを知っています。何十億年も前に生きた人類の文明の多くが、現代の私たちの世代/時代よりも技術発展し、洗練され、高度なものだったのです。このことについて、今は詳しく取り上げることはしません。
さらに言えば、各世代/時代の間には大抵、休閑期間といった空白期があったと考えられます。つまり、前の世代/時代が滅んだ後、次の人類が創造されるまでの間、何も存在しない期間があったということです。
ある世代/時代が大洪水によって滅びた後の休閑期間は地球が氷結していたと思われますが、全ての世代/時代(さまざまな種類の人類)が大洪水によって滅びたわけではなさそうです。神様は目に見えない霊的な世界から目に見える現実の物理的な世界を創造されましたが、その物理的な世界を支えている覆いを破壊される場合がありました(この啓示については後述します)。その場合には破滅的な地殻変動が起こり、ある世代/時代は滅ぼされたのです。
大切なのは、この世界を創造なさった神様は、エペソ人への手紙3章5節を通して、過去の世代/時代間に関係性はなかった(交配はなかった)ことを私たちに示してくださっているということです。それぞれの人類は異なる存在でした。ですから、各世代/時代間つまり神様によって創造されたさまざまな種類の人類と人類との間に交配があったというのは論外です。
ここで、ギリシャ語の「ヘテロス」の対義語である「ホモイオス」を見ていきたいと思います。興味深いのは、創世記1章26節で神様がアダムを創造されたときに、次のように仰せられたことです。
神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿(デムートH1823/ホモイオーシスG3669)に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這(は)うすべてのものを支配するようにしよう。」(創世記1章26節)
この「似姿」を表すヘブライ語「デムート」(H1823)は、七十人訳聖書では「ホモイオーシス」(G3669)というギリシャ語に訳されています。「ホモイオーシス」は「似たものを作ること」という意味で、語源をたどると「ホモイオス」(G3664)に行き着きます。
「ホモイオス」の定義は次の通りです。
(姿または形が)似た、能力か状態か行動か志向が似ているゆえに性格/性質が似た
これは、神様がエバの夫アダム(H121またはH120/G444)とその子孫(H120/G444)をご自身と同じような性質や能力、状態を持つものとして創造なさったということを示しています。
これは、もしかすると、エバの夫アダムの子孫である私たち人類を定義する性質となり得るかもしれません。なぜなら、神様は、過去の他の種類の人類については、ご自身の形に似せて創造されるということがなかったかもしれないからです。
過去のさまざまな世代/時代に存在したさまざまな種類の人類は、表面上は私たち人類と同じような構造を持っていたのだろうと思われます。しかし、もしも、神様がご自身の形としてご自身に似たものとして創造されたのでなければ、彼らには私たちが持つような神様の属性や性質がなかったのかもしれません。
ここでお伝えしようとしているのは、神様がさまざまな種類の人類をさまざまに創造され、それら人類がそれぞれに異なる(ヘテロス)存在であった可能性が高いということです。ですから、エペソ人への手紙3章5節にある「ヘテロス」という語が、天地創造を理解する上で非常に重要な鍵となります。
では、エペソ人への手紙3章5節を再度、見ていきましょう。
この奥義は、前の<注>(ヘテロスG2087)時代(ゲネアG1074)には、今のように人の子ら(アントローポスG444)に知らされていませんでしたが、今は御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されています。(エペソ人への手紙3章5節)
<注>欽定訳聖書では「前の」ではなく「別の」
この箇所では、「時代」を表すのに「ゲネア」(G1074)の複数形が使われています。これは、私たちとは関係のない、異なる(ヘテロス)世代/時代(ドールH1755/ゲネアG1074)が少なくとも2つ以上存在したことを意味しています。つまり、エバ(私たちの母)の夫アダム(H121/G76)のような人型に造られた祖先(リショーン/プロートス)が複数存在したことを暗示しているのです。そして、それは科学的発見とも一致しています。
科学用語でホモ・サピエンスと呼ばれる私たち人類(H120/G444)は、聖書に登場するアダム(H120/G444)とその子孫と同一であると言えるでしょう。
科学的分類によれば、これまでに発見された異なる種類の人類は次の通りです。ホモ・ソロエンシス、ホモ・フローレシエンシス、ホモ・デニソワ、ホモ・ルドルフエンシス、ホモ・ネアンデルターレンシス、ホモ・エレクトス、ホモ・エルガステル、ホモ・サピエンスです。
こういうわけで、パウロは、エペソ人への手紙3章5節で「別の」「同じ性質や形態、階級、分類、種類を持たないもの」「異なった」を意味する「ヘテロス」を用いることで、前の(異なる)時代の人々「ゲネア」が性質や形態、分類、種類において私たちと同じではなく、共通の祖先も関係性も持たない存在であったことを示しているのです。
科学的見解と違うのはこの点です。異なる種類の人類の科学的分類にはさまざまな問題があります。それは、過去に存在した複数の種類の人類が共存した時代があるとか、そこで交配があったとか、または、複数の種類の人類が同時期に共生していたなどという仮定に基づいているからです。聖書の記述によれば、さまざまな種類の人類は、それぞれ別個に祖先を持ち、異なる(ヘテロスG2087)世代/時代(ゲネア)に生き、その性質や種類、分類、形態において他の人類とは関係性がなく「ヘテロス」な存在でした。
ですから、パウロが神様から明らかにされた啓示は、過去に存在した他のどの種類の人類にも決して明らかにされなかったことでしょう。主は、アダムの系統の人間(エバの夫アダムの子孫)の中でパウロと使徒たちにだけ、過去に創造なさった他の種類の人類の存在を明らかにされたのです。
神様が過去に創造されたさまざまな世代/時代、つまり、さまざまな種類の人類の違いの複雑性について一つ例を示したいと思います。それは、私たち現代の世代/時代における信者(キリストを心に受け入れた者)と未信者との違いに表れています。
私たち信者は、たとえ未信者と同じ世代/時代に生きていたとしても、未信者とは異なる人間です。それは、物理的、肉体的には見分けがつかなくとも、霊的に異なっているからです。私たちが未信者と同じ種類(種別)の人類でないことは、例えば、「死」の概念を通して知ることができます。信者には異なる法則(律法)――「キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法」(ローマ人への手紙8章2節)――がある一方、未信者には「死の律法」があるからです。
信者は、主イエス様の血潮を通して新しく造られた者となりました。家族であれ、隣人であれ、信者でない者とは完全に異なる種類の人類となったのです。この新約時代の人類である信者は新しい霊を持ち、聖霊様がうちに住んでくださっています。しかし、未信者は、私たちとは異なる種類の人類であるため、この特権を持っていません。この例について考えてみると、過去の世代/時代に存在したさまざまな種類の人類がそれぞれに異なっているということが理解できるのではないでしょうか。しかし、科学者の多くは、生ける神様のことは切り離して考えるために、発見された人間の頭蓋骨を調べるのにDNAや物理的解析に頼ることしかできないのです。
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