このコラムでは、人類や地球の創造に関する多くの疑問に対して、聖書を基にお答えします。そして、神様がこの地に来てお住まいになる時代についてもお伝えします。それは、単に「リバイバル」と表現される場合が多いですが、実際にはリバイバルという概念以上に壮大な事象です。
この神の働きは、地上の多くの国々で現実となり、父なる神様と主イエス様と聖霊様が共に訪れてくださる時代が来るのです。それについて、「神の力」「神の奥義」「神の子ら(世継ぎ)の現れ」「知恵と悟り」「神の御国」などの観点から解説したいと思います。
この連載では、次のような疑問にお答えしたいと考えています。
- 地球の年齢は本当に6千年から8千年なのでしょうか。
- アダムも6千年から8千年前に創造されたのでしょうか。
- アダムは神様が最初に創造なさった人類だったのでしょうか。
- 私たち人類は、神様が創造なさった唯一の人類なのでしょうか。あるいは、神様によって創造された別種の人類が過去に存在したのでしょうか。
- ギリシャ語の「プロートス」と「アルケー」にはどのような意味の違いがあり、どのように天地創造に関わっているのでしょうか。
- ギリシャ語の「アイオーン」(時間)と「コスモス」(空間)の違いは何でしょうか。
- 聖書における「ジェネレーション」(世代)と「ゲネア」(時代)の違いは何でしょうか。
- 「アダム」という言葉は聖書でどのように使われているでしょうか。
その他、さまざまな疑問にお答えします。
ヘブライ語の旧約聖書は、ヘブライ語本文をまとめて編集されました。古い時代の写本や、そこから翻訳された聖書のうちの幾つかは、今日も現存しています。マソラ本文、七十人訳聖書、サマリア五書、死海文書などです。
七十人訳聖書は、紀元前270年ごろにヘブライ語からギリシャ語に翻訳されたものです。マソラ本文は、ヘブライ語本文と口頭伝承を基にマソラ学者たち(紀元後500年から1000年ごろ)によってまとめられたもので、ラビ・ユダヤ教で今も使われています。現在のキリスト教会で使われている聖書の大部分が、このマソラ本文から翻訳されたものです。ですから、七十人訳聖書はマソラ本文(ヘブライ語聖書)以前から存在していたことになります。
創世記5章と11章に系図が記されていますが、そこに「父」の年齢だけではなく、直系の「子」(息子)の名前と年齢が記されていることに注目することが重要です。同じ名前を持った「子」たちが複数存在する可能性もあります。古代ヘブライ語には、祖父と曽祖父、孫とひ孫といった区別はありません。
「子」という単語の使い方には幅があります。キリストはダビデの「子」でした。また、歴代誌第一26章24節には「モーセの子ゲルショムの子シェブエルが宝物倉のつかさであった」とあります。これはダビデの時代で、モーセから数百年後のことでした。しかし、ゲルショムはモーセの直接の息子でそのまま「子」と表される一方、シェブエルは、その父と思われる人物から見て12代から15代目であるのに、やはり「子」と表されているのです。
「子」と言い表される場合、それは最も顕著な者、あるいは、最も好感を持たれた息子を指して言うのかもしれません。
代々同じ名前を引き継いで、「一世」「二世」「三世」などと称してきた家柄もあります。例えば、エジプト史を見ると、第12王朝にはアメンエムハトという名前の王が4人いました。
ですから、転写の誤りか翻字の違いによって、七十人訳聖書には記されていたのにマソラ本文の系図には名前が記されていないという相違が生じることになったのでしょう。
実際、創世記11章12節から13節を見ると、七十人訳聖書に記されているケナンの名がマソラ本文では脱落しています。しかし、ルカの福音書の系図には、ケナンの名が記されています。ルカは、七十人訳聖書を支持し、採用したと思われます。
ルカはケナンの名を追加しました。ルカの福音書3章35節から36節には、アルパクシャデとシェラの間にケナンの名が記されています。つまり、ルカによれば、ケナンはアルパクシャデの子であり、また、シェラはケナンの子であることになります。
しかし、創世記11章12節から13節の系図には、アルパクシャデとシェラの間に他の名はありません。これは、ヘブライ語の歴代誌にケナンの名前が記されていなかったためです。しかし、ヘブライ語の伝統的な血統にケナンという名前があっても不思議はなく、実際に記されていたからこそ、ギリシャ語の七十人訳聖書にも記されているのでしょう。
このように、どの翻訳を用いるかによって、聖書の年代の計算が少なからず異なるのです。
例えば、アダムが創造された年代の推定は、学者によって異なります。幾つか例を挙げるなら、紀元前4004年、紀元前5490年、また、紀元前1万2028年といったものがあります。
七十人訳聖書を基に計算すると、マソラ本文より時代を長くさかのぼることになります。
直接的な父子関係があるという前提で、「父」と記されている人物が「子」と記されている人物を生んだ年をそのまま「子」の誕生年とする説が、長い間まかり通ってきました。そのような計算では、アダムの創造やノアの洪水から現在までの年数が、実際よりも少なくなってしまうのです。
研究者の多くにとって、そのように算出された数値は納得できるものではありませんでした。考古学的証拠が次々と明らかになってきていますが、そのような少ない年数を裏付けるものはありませんでした。
そのような中、ハロルド・キャンピングは、「父」と「子」と記されている2人について、聖書本文の記述から明らかに直接的な父子関係であると判断される場合以外は、「祖先と子孫の関係」にあるとしました。つまり、族長の没年とちょうど同じ年に生まれた「子孫」の名前が、子の代わりに記されたという説を唱えたのです。
この方法では、はるかに長い年数が加えられることになり、考古学者によって提示される情報とより密接な相関関係が見られるようになりました。しかし、これはヘブライ語聖書を解釈する上で、伝統的で標準的な算出方法とはかけ離れていたため、多くの人々にとって受け入れられないものでした。
以上のような事情により、さまざまに提示された年代があり、その中から正解を選ぶことは困難になっているのです。
ここで、一つ提案させてください。ヘブライ語の旧約聖書の創世記5章と11章に見られる段落区切り文字に注目しましょう。この段落区切り文字は、ヘブライ語文字「サメフ」によって表されます。サメフはヘブライ語15番目の文字で、数字を表す場合には60を意味し、英語のSに相当します。
サメフは(節と節の間の)ちょっとした切れ目を表し、前後の節の間には時間的継続がないことを示しているようです。
ヘブライ語本文におけるサメフは、全てではないにせよ、族長に関する節と節の間に多く見られます。それは族長に関する大部分の情報がそれぞれ単独で並んでいることを示し、別個の非常に短い段落が並んでいるとするのがより適切と考えられます。つまり、前の節とは時間的継続がないことを示すもののようです。
サメフは、それぞれの族長が治める範囲の区別を示す箇所で使われ、次に名前が出てくる族長とは直接の時間的つながりがないものと考えられます。つまり、一つの連続した時系列の記録として扱われることを意図して本文が書かれたわけではないことを示す指標なのです。
マソラ本文の創世記の記録に、段落の切れ目が示されることはほとんどありません。
族長の多くは、次に名前の出てくる族長と直接的な父子関係ではなく、何世代かさかのぼった祖先という関係にあると考えられます。
創世記5章と11章における直接的な父子関係について
本文解釈とこの区切り文字の記載によれば、直接的な父子関係を示す例は次の場合のみに限られるようです。すなわち、「アダムを父とするセツ」「メトシェラを父とするレメク」「レメクを父とするノア」「ノアを父とするセム、ハム、ヤフェテ」「セムを父とするアルパクシャデ」「テラを父とするアブラム、ナホル、ハラン」です。
族長方式について
ヘブライ語の「ヤラド」(『ストロング・コンコルダンス』 #3205)は、begat(子を産んだ)という英語に訳されていますが、数世代に及ぶという意味を持つ単語です。
そのため、学者の中には、創世記では族長方式が用いられていると唱えてきた人々もいます。族長方式とは、聖書本文の記述から直接的な父子関係にあることが明らかに分かる場合以外は、「祖先と子孫の関係」にあるものと見なし、族長の没年とちょうど同じ年に生まれた子孫の名前が記されているとするものです。
伝統的なアッシャー方式について
ジェームズ・アッシャー大主教(1581〜1656)は、アブラハム以前の族長たちの世代を足し加えることによって天地創造の年代の計算を試みました。そして、天地創造の年代を紀元前4004年と算出しましたが、今日では大主教の計算に誤りがあることが分かっています。
それは、その数値ではノアからアブラハムの間の年数が足りないことが明らかだからです。ノアは洪水後350年生きたとあります。アッシャー大主教による推定年代が下表にありますが、それによると、ノアの没年からアブラハムの誕生年まで882年しかありません。
それでは、神様がアブラハムをその父祖の地から呼び出された頃、アブラハムの家族一行がまさしく偶像礼拝者であったという聖書の記述(ヨシュア記24章2節)と合致しません。ノアがまだ生きていたか亡くなったばかりであれば、偶像礼拝が盛んに行われるということはなかったでしょうし、洪水は人々の記憶にまだ新しいものであったはずです。
創世記11章ではバベルの塔が建設され、国は分裂して散らされました。アブラハムがカルデアのウルを去り、ハランを出て、カナンの地に入るまでに、ケニ人、ケナズ人、カデモニ人、ヒッタイト人、ペリジ人、レファイム人、アモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人が既に先住していました(創世記15章19節)。
エジプトでは既に、ファラオの王朝の権力が増大していました(創世記12章15節)。ペリシテ人はカフトル(クレタ島)からカナンに到達し、アブラハムの到着前から先住していました(エレミヤ書47章4節、創世記20章2節)。洪水からアブラハムの時代まで2千年または4千年ほどの年月がたっていたとしても不思議はないのです(『B&S Vol. 11, No. 3, Summer 1998』より、オースティン・ロビンズ「あの丘々はいつからあるのか?」)。
1701年以降、欽定訳聖書の翻訳の、幾つかの版の傍注や相互参照欄に、アッシャーによる年代が付記されるようになりました。また、広く普及した『スコフィールド聖書研究』は1909年に出版され、1917年には改訂されました。そこに採用されたのがアッシャーの年代で、年表の主流となって現代に至っているようです。
今日、アダムや地球が創造された年代だとしてキリスト教会が固執しているのは、ジェームズ・アッシャー大主教による、このように不正確な計算結果なのです。多くの人々が、アダムも世界も6千年から8千年前に創造されたという誤った算出結果を信じる事態に陥っています。
アッシャーの年表が創世記5章と11章の系図に関して不完全な仮説に基づいたものであったことを示すのに十分な聖書的証拠が幾つもあります。聖書の系図は、年表作成を意図して記されたものではないのに、年表作成を試みる個人や団体によって不適切に使用されているのです。
年代順誕生年算出表(紀元前) | ||||
---|---|---|---|---|
アッシャー方式 | 族長方式 | |||
マソラ本文 | 七十人訳聖書 | マソラ本文 | 七十人訳聖書 | |
アダム | 4004 | 5490 | 10842 | 12028 |
セツ | 3874 | 5260 | 10712 | 11798 |
エノシュ | 3769 | 5055 | 10607 | 11593 |
ケナン | 3679 | 4865 | 9702 | 10688 |
マハラルエル | 3609 | 4695 | 8792 | 9778 |
ヤレデ | 3544 | 4530 | 7897 | 8883 |
エノク | 3382 | 4388 | 6935 | 7921 |
メトシェラ | 3317 | 4203 | 6570 | 7556 |
レメク | 3130 | 4016 | 5601 | 6597 |
ノア | 2984 | 3828 | 5419 | 6399 |
洪水 | 2348 | 3228 | 4819 | 5799 |
セム | 2446 | 3326 | 4917 | 5897 |
アルパクシャデ | 2346 | 3226 | 4317 | 5297 |
ケナン | 3019 | 4762 | ||
シェラフ | 2311 | 2961 | 3879 | 4302 |
エベル | 2281 | 2831 | 3446 | 3842 |
ペレグ | 2247 | 2697 | 2982 | 3438 |
レウ | 2217 | 2567 | 2743 | 3099 |
セルグ | 2185 | 2435 | 2504 | 2706 |
ナホル | 2155 | 2305 | 2274 | 2430 |
テラ | 2126 | 2126 | 2126 | 2126 |
アブラハム | 1996 | 1996 | 1996 | 1996 |
このように、アダムが創造された正確な年代を知るためには今後、的確な科学的発見か超自然的啓示が必要になるという結論に至りました。そして、聖書の記述と今ある優れた科学的方法を用いて計算した限りでは、アダムの創造は1万4千年から1万5千年前のことであったと私は考えています。
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