ジャック・ ニコルソンとモーガン・フリーマン主演の「最高の人生の見つけ方(※)」という映画をご存じでしょうか。原題は「The Bucket List(棺桶リスト)」。自分が死ぬまでにしておきたいリストの英語のスラングです。偶然、同じ病室になった大金持ちの病院経営者(J・ニコルソン)と、しがない自動車の修理工(M・フリーマン)の2人が、医師から宣告された余命半年の間に、自分たちのバケットリストを遂行するために旅に出るというお話です。
そのリストには、スカイダイビング、アフリカでライオン狩り、マスタングGTに乗ってサーキットレース等々。彼らはその項目を一つ一つクリアしていきます。その旅の途中で、ニコルソンには音信不通の一人娘がいることを知ったフリーマンは「娘との再会を果たす」をリストに加えるべきだと彼に進言しますが、ニコルソンは娘との関係がかなりこじれているらしく、かたくなにそれを拒否します。
しかし、フリーマンの計らいで、娘と仲直りすることができたニコルソンは「世界一の美女(ニコルソンの孫娘)にキスをする」という、最後のバケットリストを果たすことに成功します。そして、先に死んだフリーマンが果たせずにいた「見ず知らずの人に親切にする」というリストを、教会で行われた彼の葬儀の席で、ニコルソンが2人の友情の証しをすることで果たすのです。この映画は、本来なら重く深刻なテーマを、アメリカ映画らしく、ユーモアを交えながらサラリと描いた秀作です。
この映画を見て、改めて思わされることは、どれだけお金があろうと、どんなに楽しいことであろうと、死という現実の前では全く意味をなさないということです。しかし、彼らのリストの中で、意味のあるものが2つだけありました。それは「世界一の美女とキスをする」という親子関係の回復と、「見ず知らずの人に親切にする」という、ニコルソンが教会の人々の前で話したスピーチでした。なぜ、その2つに意味があったのでしょうか。それは、その2つだけが自分のためではなく、人のためだったからです。
結局、2人のバケットリストのうち、今まで自分が人生で得たいと願ってきたカネ、モノ、コトは早々に消えてしまい、最後に残ったものは、人のために何かをする、そして、人を愛し、和解するというココロでした。愛とか感謝といった目に見えないものは、目に見えるものを全て包括します。
この映画でニコルソンが娘との再会をかたくなに拒んでいたように、謝るということは、ライオン狩りより、サーキットレースより、勇気とエネルギーが必要です。実は終活において最も難しく、等閑になってしまっているのが、この赦(ゆる)し、赦されるという作業なのです。
教会ではよく罪人という表現がされますが、世の中のほとんどの人は自分が罪人であるという自覚がありません。それは、罪とは自分の唾と同じようなもので、自分の内にあるときは全く自覚がないからです。しかし、いったんそれが表に出たときに、初めて分かるのです。この世の中には、人を傷付けたことのない人や、傷付けられたことのない人など一人もいないように、こうした問題は多くの場合、本人が無意識の状況の中で起こるのです。
ですから、もしあなたに「ありがとう」と伝えたい人が誰かいるのなら、ちゅうちょせず「ありがとう」と伝えるべきです。もし、あなたに謝まらなければならない人がいるのなら、これが最後だと思って、手紙でもメールでもよいので「ごめんなさい」と素直に謝まりましょう。「ありがとう」と言われて、嫌な気持ちになる人はいません。「ごめなさい」と心から謝って、それでも赦せないことは、世の中、そう多くはないのです。
それでももし、相手が赦してくれなかったとしても、あなたの悔い改めが本当であれば、神はあなたを赦し、解放してくださいます。こうした自分の中にある問題(自我・罪)を認め、悔い改め、赦された人のことをクリスチャンといいます。そしてその赦しは、本人のためであるのと同時に、あなたが赦せないと思っている人のためでもあります。
従って、クリスチャンには、誰か赦せない人がいるということはあり得ません。なぜなら「私が赦した者を、なぜ、あなたが赦せないと言うのか?」とイエスに聞かれたら、クリスチャンはグゥの音も出ないからです。 赦し、赦されること。それは、私たちの人生を解放させる大きなターニングポイントとなるのです。
人を裁くな。そうすれば、自分も裁かれない。人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められない。赦しなさい。そうすれば、自分も赦される。(ルカによる福音書6章37節)
※ 最高の人生の見つけ方(The Bucket List)。2007年公開のアメリカ映画。ロブ・ライナー監督、ジャック・ ニコルソン、モーガン・フリーマン主演。
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