ファリサイ派とサドカイ派の人々が来て、イエスを試そうとして、天からのしるしを見せてほしいと願った。イエスはお答えになった。「あなたたちは、夕方には『夕焼けだから、晴れだ』と言い、朝には『朝焼けで雲が低いから、今日は嵐だ』と言う。このように空模様を見分けることは知っているのに、時代のしるしは見ることができないのか。よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。」 そして、イエスは彼らを後に残して立ち去られた。(新約聖書・マタイによる福音書16章1~4節)
「お片付け」は残酷な所業
本連載の第11回で、お店屋さんごっこに熱中していたクラスを次の活動に移行させるために、閉店案内曲として使われている「別れのワルツ」(蛍の光)を流したら、子どもたちが口々に「明日のために片付けよう」と言いながら片付け始めた事例を紹介しました。時間が来たら「お片付け!」と声を張り上げるのが保育ではないのです。
私が理事をしている小さな保育研究団体では、「トムテさん」の愛称で知られる木の玩具のスペシャリスト、笠井廣さんをお迎えして、初任者研修として「おもちゃ研修会」を実施しています。ちょうど先日も実施しましたが、この研修は実に愉快です。予め笠井さんが持ってきた展示用のおもちゃを所狭しと並べ、積み木もいろいろな精緻な形で積み上げておきます。受講生たちは、それを見て歓声を上げます。
まず、「さあ、これを使って自由に遊んでみてください」と受講生たちに促します。最初はおっかなびっくり触ったり、見たりしているのですが、さすがに保育士の皆さんですから、精緻な積み方の積み木を再現しようとしたり、新たな作品にトライしたり、初めて見るおもちゃも使ってみたりして、次第に熱中し始めます。講義室ではあちこちで、積み木の作品に対する感嘆の声、それが崩れた時の悲鳴、そして笑い声などがあふれてきます。そんな状態を見計らって、「お片付け!」と声をかけるのですが、ほとんどの受講生が「え~、もう?」とか「もう少し待って」とか声を上げます。
ここで、笠井さんがにやりと笑い、「どうです? 残酷だと思ったでしょ? 皆さんは毎日、毎日、何回も、何回もこれをやっているんですよ」と話すと、受講生たちも苦笑いするのです。
「私、悪役になります!」
ある時、ある保育園から招待を受け、笠井さんと共に研修会後に直接お伺いし、同じようにおもちゃを出して園児たちを遊ばせることになりました。そしていよいよ、「お片付けの時間」が迫ってきました。すると、研修に参加した保育士が意を決したように立ち上がり、私たちの方に向かって「私、悪役になります!」と宣言したので、びっくりしました。
笠井さんが「待て、待て、『お片付け!』ってやらなくても終われるよ」と言うと、その保育士は目をパチクリ。笠井さんは「教えてあげるよ。まず、誰も遊ばないでほっぽらかされているおもちゃを静かに片付けて」とアドバイスするのでした。半信半疑の顔で保育士が誰も使っていないおもちゃを片付け始めると、クラスの雰囲気が徐々に沈静化してきます。十分遊んで満足した子から、自分が使っていたおもちゃを片付け始める様子も見られました。大きな積木の作品は「最後に崩そう」と言う子も現れ、その大きな積木の作品が最後に崩され、その崩れた積木はみんなで先を争うように箱に集めてくれました。そして、「あ~、面白かった」「おじさん、明日もできる?」と聞いてくる子もいました。部屋いっぱいに並べられていた20種類以上のおもちゃは、保育士が一人で片付け始めてから15分もたたないうちに、あっという間に、そして、全園児の自主的な協力を得る形で片付けられてしまいました。これには保育士もびっくりしたようでした。
子どもたちはシングルタスク
ここで分かることは、「環境の変化に気付く力」がそれぞれの年齢に応じて備わっているということです。例えば、集中力が強い子は、遊んでいる間に気づいたら、自分の周りに「水たまり」ができていることがあります。これは、熱中のあまり尿意に気付かないのが原因です。大人の場合、喉が渇いていないか、尿はたまっていないか、暑過ぎたり寒過ぎたりしないか、疲れていないかなど、絶えず、自分の体の状態を無意識に観察しています。しかし、幼い子どもの場合、脳の機能はまだ、一つのことを処理するのがやっとです。パソコン用語でいえば、シングルタスクの状態です。ですから、体力の保持もままならず、力いっぱい遊び続けた結果、行き倒れのようにして寝入ってしまうことがよく見られます。尿意の場合は、たまってきたかどうかを観察することと、尿が出てこないように制御することが求められます。しかし、幼い子どもの脳では、絶えず観察し、制御し続けることはまだ難しいのです。
よく、保育士が時間毎に「水を飲みなさい」と指示することを見かけます。しかし、これでは指示通りに動けば最適な状態を維持できるのですから、自分の体の状態を観察する機能は養われません。体がどういう状態かということを自分自身に問い合わせる作業を必要としないからです。
気付きのポイントを置く
そのため、気付く機会を時々提供することが、保育士にとっては大切になります。例えば、私は「保育士の大きな声の独り言」をお勧めしています。「ツイッター保育」と命名しているこのやり方は、保育士が何か行動をするときに行います。例えば、「先生、喉乾いちゃった! 水、飲みたいなあ」という感じです。その「独り言」を聞いた子どもたちは、その瞬間、自分はどうなのかを振り返ります。そして、自分も喉が渇いていることを認識すれば、「あ、僕(私)も!」と言って、保育士についていく姿が見られます。
ある保育施設で実践していただいたところ、「お水っておいしいね」と言う子どもや、「みんなで飲むと喫茶店みたいだね」と言う子どもが出てきて、そのまま喫茶店ごっこに移行していきました。保育士の独り言に応じなかった他の子どもたちも、喫茶店ごっこが始まったのに誘われて水を飲みに来ていました。何より、喉が渇いたところで飲む水は格別だったようです。
給食も、保育士が「おいしいんだよ、食べて!」と言うよりも、まずは保育士がぱくっと一口食べて満面の笑みをしながら「おいし~い!」と言う方が、子どもたちの食べてみたいという欲求が強まります。また、そればかりか、「あ、大人はこういう味をおいしいと言うんだ」と学んでいくことになるのです。
「お片付け!」と言わない保育のメカニズム
このように、自分の体の状態をうまく観察できない子どもも、養育者(保護者や保育士)の動きや対応を通じて、自分の状態を確認することを覚えていきます。
「誰も遊ばないでほっぽらかされているおもちゃを静かに片付けて」という笠井さんのアドバイスは、子どもたちが現状を理解する手掛かりを与えるものだったのです。幼い子どもたちには、時間の概念、予定を積み重ねる概念、それを効率的に消化していくスキルがまだありません。だから、多くの気付きは保護者や保育士の動きから得ているのです。
私が園長をしていた認定こども園では当初、「お片付けルンバ」という曲を流していました。しかしやがて、保育士がそれを流すためにCDプレーヤーに向かうそぶりを見せるだけで、「お片付けの時間が来た」と気付く子どもたちが数人出てきました。そこで、曲を流すことはやめ、時間になると保育士が使われなくなったおもちゃを片付けるようにしました。すると、最終的には子どもたちもさまざまな自分の状況(おなかがすいた、疲れた、眠いなど)や、周囲の情報(保育士の立ち居振る舞い、防災無線の時報、給食のにおいなど)に気付き、そろそろ片付けの時間だと感じ取ることができるようになっていきました。こうしたスキルは、子どもたちの後々の人生においてとても大切な能力になります。(続く)
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