狼(おおかみ)は小羊と共に宿り、豹(ひょう)は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子(わかじし)と共に育ち、小さい子供がそれらを導く。牛も熊も共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛もひとしく干し草を食らう。乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ、幼子は蝮(まむし)の巣に手を入れる。わたしの聖なる山においては、何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。水が海を覆っているように、大地は主を知る知識で満たされる。(イザヤ11:6〜9)
最近、ある認定こども園の園長から相談を受けました。
「食べるのが極端に遅い子がいて、仕方がないのでみんなが、ごちそうさまをして遊びに行った後も一人残して食べさせているんですけど、これって虐待って言われますか」
ふと思ったことがあります。それは、子育てを研究すれば研究するほど、昔の子育ては現代では再現不可能な技術なのではないかという思いです。
ドイツの教育学者フリードリッヒ・フレーベル(1782~1852)が、「キンダーガルテン」(「子どもの庭」の意、日本語訳は「幼稚園」)と名付けた保育体系は、幼児教育の基礎を形成したものといわれ、今なお、保育論の基礎中の基礎と位置付けられます。幼稚園教諭、保育士を養成する学校では、保育論の最初にフレーベルの名前が出てくるほどです。
彼は、子どもの中にある成長の種に目を向け、それが花開くことを夢見て保育論を展開しました。フレーベルは、ロマン主義の影響を色濃く自らの保育論に反映させています。
ロマン主義とは、主に18世紀末から19世紀前半にかけ、欧州を中心に起こった精神運動の一つです。それまでの合理主義や古典主義などに反抗し、感受性や主観に重きを置きました。近代国民国家の形成を促進し、その動きは文芸、美術、音楽、演劇などさまざまな芸術分野に及びました。恋愛や自然賛美、過去への憧憬、民族意識の高揚など、抒情(じょうじょう)的かつ感情的な表現が特徴とされます。
さて、フレーベルは、子どもの存在を自然賛美と結び付けました。
(フレーベルは)子どもの本質を神的なものとして捉え、この児童観に基づいて受動的、追随的な教育を主張した。園丁が植物の本性に従って、水や肥料をやり、日照や温度を配慮し、また剪定(せんてい)するように、教育者も子どもの本質に追随的に、その無傷の展開を保護し、助成するように働きかけなければならないとされ、そこから彼の「キンダーガルテン」(子どもの庭)という名称が生まれた。
また、彼は人間の発達の連続性を主張し、この立場から子どもの共感的理解と、それに基づく教育を擁護し、早期教育に反対した。神を不断の創造者として捉えた彼は、神的本質を有する子どもは不断に創造すべきものと考えた。この立場から、彼は幼稚園の教育内容は、遊びや作業を中心にすべきものと考え、そのために遊具を考案し、花壇や菜園や果樹園からなる庭を幼稚園に必ず設置すべきであると主張した。(ウィキペディア「フリードリヒ・フレーベル」より、一部改変)
この考え方は、今なお最先端の保育であると評価を受けています。しかしその一方で、フレーベルがこうした保育論を提唱した当時、特にプロイセンでは「キンダーガルテンは子どもを無神論に導き、フレーベルは子どもに社会主義を吹き込む」として、禁止命令が出されたことが知られています。
実際、その後求められていく教育は、帝国主義の要請を色濃く受け、異質なものに変貌を遂げていきます。有名なところでは、フレーベルが開発した「恩物」という玩具があります。
これは、子ども自身が率先して活動できるような教材を子どもたちに提供しようと、フレーベルが考案したもので、20種類の教材で構成されています。その中でも、フレーベルは球を「自然界における完全なる理想形」と考え、第1の教材に選びました。その理由を、次のように挙げています(ウィキペディア「恩物」より)。
- 球は世界中の国で遊具として広く用いられている
- 球は丸いのでよく転がることから、乳幼児の運動に適している
- 自然界において、地球、太陽などの象徴となる
- 円満な人格など、人間精神の理想となる
- 滑らかで均整の取れた形であり、古来その美を見いだされてきた
このように、教材一つ一つが熟考して開発されたものでしたが、次第に恩物を使った「遊ばせ方」や「狙い」に重きが置かれてしまうようになります。早期教育に反対し、「神を不断の創造者」として捉えていたフレーベルは、神的本質を有する子どもは不断に創造すべきものと考えました。この立場から、フレーベルは、幼稚園の教育内容は「遊びや作業を中心にすべき」と考えていました。
しかし、このフレーベルの主張は、恩物を使ったメソッドの流行により、真っ向から否定されてしまうことになるのです。そこでは目指すべき方向性と、そこに至る恩物の使用方法が強調され、「不断の創造者たる神」がその子に対して行われる「創造の業としての成長」には、全く目を向けられないということが起こったわけです。
日本は当時、プロイセンから近代国家形成を学んでいました。そしてその中で、日本の保育論は、フレーベルが自身の保育論の基礎としたロマン主義とは全く別の要素である帝国主義を反映した保育論に変貌を遂げていきます。
この状況を批判したのが「日本のフレーベル」こと倉橋惣三(1882~1955)でした。このような形骸化を見抜いた倉橋は、「そんなものは捨ててしまえ」と、恩物をゴミ箱に投げ入れたと伝えられています。フレーベルが望んだのは、恩物がきっかけとなり、子どもたちの遊びが広がることだったからです。
同時期に、イタリアのマリア・モンテッソーリ(1870~1952)もまた、幼児教育の必要性を発見します。モンテッソーリは、知的障がいのある幼児が床に落ちたパン屑(くず)で遊ぶ姿をきっかけに、何ら知的な進歩はないと見放されていた彼らが感覚的な刺激を求めることを見いだし、後に「モンテッソーリ教育」という手法を編み出していきます。
しかし、現在の保育現場において、モンテッソーリ教育の当初の精神や、倉橋の理想が反映されているかと問われれば、さぞかし怪しいと言わざるを得ません。倉橋は著書『育ての心』の中で、次のように語っています。
自ら育つものを育たせようとする心、それが育ての心である。世にこんな楽しい心があろうか。それは明るい世界である。温かい世界である。育つものと育てるものとが、互いの結びつきに於(おい)て相楽しんでいる心である。
育ての心。そこには何の強要もない。無理もない。育つもののおおきな力を信頼し、敬重して、その発達の途に遵(したが)うて発達を遂げしめようとする。役目でもなく、義務でもなく、誰の心にも動く真情である。
さて、本題は「なぜ虐待は起こるのか」です。フレーベル、倉橋、モンテッソーリなどの保育論を、学校で少しでも学んだはずの資格を持つ専門家たちが、その大切なものを失わざるを得ない背景に目を向けていきたいと思います。
その第一は、ロマン主義が急速に現実主義に置き換えられたことです。当時の社会の要請は、いわゆる「生産性の高い人的資源の確保」でした。はっきり言えば、教育は全体に準じるべきだという考え方です。もっと突っ込んで言えば、「国家(全体)の要請に基づく教育が求められた」わけです。
ロマン主義では、その子の実存に神の意思を感じ、その子の中に神の賜物を見ることが前提でしたが、それは当時の日本で受け入れられるものではなかったのです。現代においても、恩物やモンテッソーリが編み出した玩具は、当初の目的とは異なる「知育玩具」として紹介されることがしばしばです。
少し前に「生産性がない」と発言し、舌禍を起こした国会議員が、謝罪や撤回に追われていますが、彼女が言った言葉の中に面白いものがあります。
旧ソ連崩壊後、コミンテルンは息を吹き返しつつある。子どもを家庭から引き離し、保育所などの施設で洗脳教育をするという旧ソ連が共産主義体制の中で取り組み、失敗したモデルを日本で実践しようとしている。
これを言った彼女の所属する政党が、かの有名な「森友学園」を高く評価していたことは噴飯ものだと思いますが、逆に言えば、「国家が何か事を成すには、幼児教育を押さえなければならない」という考えが如実に表れているわけです。
つまり、幼児教育は、そういう圧力にさらされ続けて現代まで歴史をたどってきたということがいえます。フレーベルが抱いた「子どもを子どもらしく育てることが、その子の人生にとって一番の宝になる」という思いは、この100年余りの間踏みにじられ続けてきたわけです。
一方で日本では、ロマン主義は現代まで根付いている形跡が見当たりません。フレーベルの保育論が日本で異質なものになるのは、当然のことであったのかもしれません。当然、そのような環境下では、保育現場は常に結果を出すことのみを求められます。作品展、運動会、お遊戯会、全てにおいて「立派な姿」「できる姿」を強調することが至上命題になっているわけです。(続く)
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