それからイエスは・・・安息日ごとに、人々を教えられた。人々は、その教えに驚いた。そのことばに権威があったからである。また、会堂に、汚れた悪霊につかれた人がいて、大声でわめいた。・・・イエスは彼をしかって、「黙れ。その人から出て行け」と言われた。するとその悪霊は人々の真ん中で、その人を投げ倒して出て行ったが、その人は別に何の害も受けなかった。人々はみな驚いて、互いに話し合った。「今のおことばはどうだ。権威と力とでお命じになったので、汚れた霊でも出て行ったのだ。」こうしてイエスのうわさは、回りの地方の至る所に広まった。(ルカ4:31~37)
私たちの主役であるイエス様をこの場にお迎えしたいと思います。聖書ははっきりと、イエス・キリストは昨日も今日もいつまでも同じであると語っています。今も当時と同じように私たちと共にいてくださり、主が働いて祝福が豊かに与えられます。
今日の聖書箇所でも、イエス様がおられる所には、人々には驚きであるとしか言いようのない事柄が起こっていたのです。イエス様は救い主、神の御子、神ご自身の完全な現れですから、そのイエス様が共におられることで、常識を吹っ飛ばすような非日常的なことが起こり、癒やしを体験できるのです。
今日、イエスの持たれた権威ということをはっきりと意識して祈りたいのです。今日の聖書箇所から3つのポイントを押さえておきます。
1. イエスの教え―権威ある言葉!
旧約聖書の律法を固く守っていたユダヤ人たちは、安息日を清く守るという解釈が行き過ぎたルールになっていました。病気を治すことは医者の仕事であり、律法に反していました。
その中で、安息日ごとに会堂に出かけ、病人を癒やしていたイエス様は、律法を守らない人物であり、捕らえて殺そうというところまで話が進んでいったのです。当時の律法学者の中にも素晴らしい人はたくさんいました。しかし、イエスの言葉には権威があったのです。
権威があるということは、イエス様が発せられた言葉は、単なる素晴らしい言葉ではなく、必ず実現する力があるということです。
2. イエスの教え―悪霊に対する権威!
汚れた霊にとりつかれた人に、その悪霊をしかって「黙れ!その人から出ていけ!」と言われると、悪霊は出て行きました。イエス様の言葉は、悪霊に対する権威をも持っていたのです。
私たちが祈るときも、言語の違いは関係なく、イエス様の御名、御言葉で祈るときには、権威があるのです。あなたを苦しめる病気、煩いに対して勝利する権威があることを知りましょう。
3. イエスの教え―癒やしと解放のための権威!
イエス様は、安息日に人々を癒やし、悪霊から解放したことで律法学者やパリサイ人から裁かれようとしていました。しかしイエス様は、「安息日にしてよいのは善を行うことなのか、悪を行うことなのか」と人々にチャレンジし、変わらず悪霊を追い出し、病人を癒やしていたのです。
いやしと解放を実現すると同時に、私たちを愛し、私たちのために、癒やしと解放の権威を現してくださることを感謝したいと思います。
イエス様の御名にある権威によって祈り、私たちのために権威を現してくださいと祈り求め、癒やしを体験してまいりましょう。
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