神戸国際キリスト教会の岩村義雄牧師は6月11日から24日にかけ、ポーランド経由でウクライナに入国し、首都キーウや、ロシアとの戦争により大量の住民が虐殺されたブチャやイルピン、また中南部のザポリージャなどを訪問した。
ザポリージャ原発が見える対岸の村を訪問
ウクライナ軍とロシア軍の戦線に近いザポリージャには、18日夜にキーウを出発し、バスで約7時間かけて向かった。ザポリージャ州の州都であるザポリージャは、ウクライナ中央を流れるドニエプル川をまたいで両岸に広がる都市。同州は現在、南部の約7割がロシア軍の支配下にあり、ザポリージャを含めた北部の約3割をウクライナが維持する形となっている。
ドニエプル川は、ザポリージャ以南の約250キロがダムによってせき止められ、広大なカホフカ貯水池を形成している。同州エネルホダルにある欧州最大とされるザポリージャ原子力発電所は、カホフカ貯水池の東岸にあり、現在はロシア軍の支配下に置かれている。
岩村氏は、そのザポリージャ原子力発電所を対岸に臨む西岸のビシュチェタルシフカも訪れ、村長ら現地の人々から話を聞いた。ビシュチェタルシフカは、ザポリージャの南約50キロに位置する人口約3千人の村で、住民の多くは漁を営むなどして生計を立てている。
しかし、6月初めにカホフカ貯水池の南端にあるカホフカ水力発電所のダムが決壊。ビシュチェタルシフカはダムの上流に位置するため水没被害などはなかったが、水位が大幅に下がったことで魚がほとんど捕れなくなってしまった。そうした影響もあり、村の人口は現在3分の2近くまで減ってしまったという。
神戸国際支縁機構の理事長として、国内外で長年にわたって被災地支援活動を行っている岩村牧師は、「ダムの決壊や放流による水没被害の例は日本でも多いが、ダム上流の水の枯渇で人々が生活できなくなるケースには初めて遭遇しました」と話した。
キーウ神学校の神学教育責任者と対談
神戸国際支縁機構は、海外部門の「カヨ子基金」(佐々木美和代表)が、ウクライナに孤児の家「カヨコ・チルドレン・ホーム」を開設するため、昨年5月から現地視察を続けている。今回は5回目の訪問で、岩村牧師は初めてキーウのペチェールシク地区にあるキーウ・ペチェールシク大修道院を訪問。大修道院の敷地内にあるキーウ神学校で神学教育の責任を担うミトロファン・ボズコ司祭と約1時間にわたって対談した。
ペチェルスク地区はキーウでも最も古い地区。キーウ・ペチェールシク大修道院は、日本の姫路城の約4倍に相当する90ヘクタールにわたる広大な敷地を有し、キーウ市街を見渡すことのできる高台にある。千年近い歴史があり、1990年にはユネスコの世界遺産にも登録されている。
ボズコ司祭は岩村牧師との対談で、「戦争は神の律法によって非難されています。なぜなら殺すべきではないからです。戦争が犯罪であることは明らかです」と述べ、明確に戦争を否定。その一方で、ロシアから軍事侵攻を受けるウクライナの市民としては、侵略者から自分たちの土地を守ることが任務となることには理解を示した。しかしそれでも、「もし兵士が私たちの教会にやって来て聖餐にあずかりたいなら、彼らは殺したことを告白しなければなりません。たとえそれが任務だとしてもです」と言い、殺人に例外はないとする立場を示した。
また、ウクライナとロシアがそれぞれ、文化的、歴史的にキリスト教(正教)の国であることに言及。「ウクライナでは、私たち正教徒だけでなく全てクリスチャンがウクライナ政府のために祈っています。国を守っている軍隊のために祈っています。しかし国境を越えれば、ロシア軍が(聖職者から)祝福を受け、ウクライナに来ているわけです。ですから試練なのです。いったいどうしてクリスチャン同士が対立し、敵のように向かい合うことができるのでしょうか」と問いかけた。
一方、ウクライナでも、キリスト教の聖職者が戦争に向かう兵士らを祝福し、そうすることが支持されている。しかし、ボズコ司祭はこうした行為について、「恐らく戦争が終わった後で大問題になるでしょう。特に、キリストを信じていない人々にキリストの証人となる際には」と指摘。第2次世界大戦中にドイツの一部のプロテスタント教会が、ナチスの指導者アドルフ・ヒトラーを祝福したことを引き合いに出しながら、次のように語った。
「正教あるいはキリスト教の生き方は、神と人と平安の内に生きることであり、人類全体をキリストに立ち返らせることであり、この傷ついた世の中を癒やすことであると言ったとしても、きっと聞いた人は、『そんなことがよく言えたものだ。(あなたがた宗教指導者が)戦争を支持しているのに』と言うでしょう。ですからこれは、私たちにとって大きな試練なのです」
その上で、ボズコ司祭は「聖パウロが述べたように、私たちはこの世に故郷を持っているのではなく、天の国に向かっているのです」と述べ、「私たちの未来は来たるべき御国にあります。私たちの市民権もそこにあります」と語った。しかしそれでも、戦時下においてはこうした考え持つこと自体が難しいと認め、「国を愛し、侵略者から国を守ることと、しかし他方において、開かれた目を持って、民族など関係なく私たちは皆キリストにあって一つだという、この2つの視点を持つことは難しいことです」と話した。
岩村牧師はウクライナの訪問を終え、本紙に次のように語った。
「共産主義、2度の世界大戦、ファシズムもキリスト教圏から起こりました。そして今、骨肉を争うキリスト教がもたらす戦争は、キリスト教から生まれた民主主義の限界に差しかかっています。近代哲学の祖といわれるイマヌエル・カントの思想から生み出された国際連盟を前身とする国際連合や、台湾有事、中国の『一帯一路』構想、経済グローバリゼーションに、人類は解決の糸口を見いだせずにいます。そんな時代だからこそ、ラディカルな終末思想も萌芽します。ある意味で、人類は死の危機に瀕しています。人間の本質は死によっても脅かされない隣人愛であることを、まずキリスト者が示すべきです。キリストが、『あなたがたに新しい掟(おきて)を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい』(ヨハネ13:34)と言われたように、キリスト者にはこの『新しい掟』を実践する責任があるはずです」