ウクライナを電撃訪問した岸田文雄首相は21日、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領との会談前に、首都キーウ近郊ブチャの聖アンドリア教会を訪問した。ブチャではロシア軍により多くの市民が虐殺され、教会の敷地内に作られた共同墓地からは110人を超える遺体が見つかっている。
NHKによると、岸田首相は現地時間21日正午(日本時間同日午後7時)過ぎにキーウ中心部の駅に到着。同日午後にブチャを視察し、聖アンドリア教会を訪れた。教会の外では市民が見守る中、白い菊の花で作られた花輪をささげ、犠牲者に追悼の意を示した。教会には約30分滞在し、写真パネルなどで当時の状況について説明を受けたという。
産経新聞によると、ブチャの市長や教会関係者、報道陣を前に、「残虐な行為に強い憤りを感じる。命を落とされた方に国民を代表してお悔やみを申し上げたい」とコメント。「これからもウクライナの平和を取り戻すために最大限の支援を行っていきたい」と語った。
昨年2月24日にウクライナに対する軍事侵攻を開始したロシアは、首都キーウ攻略を目指してベラルーシに駐留させていた軍を南下。装甲車や戦車などによる約60キロにも及ぶ車列が、人工衛星の映像で捉えられるなどした。しかし、キーウの北西約30キロに位置するブチャでウクライナ軍の抵抗に遭い、2月末から3月末までの約1カ月間にわたって、人口約3万7千人のこの町を拠点にとどまった。
この間、ロシア軍による市民に対する虐殺行為が行われ、米CBS(英語)によると、市民ら458人が殺害された。ブチャでの虐殺行為はロシア軍撤退後に明らかになり、その残虐さを伝える映像は世界に衝撃を与えた。
ロシア正教会とは距離を置く非モスクワ総主教庁系のウクライナ正教会(OCU)に属する聖アンドリア教会は、ブチャの住宅街に2016年に設立されたばかりの新しい教会だった。しかし、ロシア軍がブチャを占拠している間に、敷地内には13メートルに及ぶ塹壕(ざんごう)が掘られ、110人を超える遺体が埋葬される集団墓地が作られた。これは、ロシア軍が虐殺行為を隠蔽するために作ったものではなく、路上などに放置されていた遺体を一時的に埋葬するため、市民らが作ったものだったという。
ブチャで埋葬を担当する役人の男性は、CBSの取材に当時を振り返り、「死体が通りに横たわっていました。埋葬しなければならないことは理解していましたが、どうすればよいか分かりませんでした」と語っている。遺体安置所がいっぱいになり、一時的な共同墓地を作るほか方法がなかったという。
犠牲者の多くは男性だったが、その中には86人の女性と9人の子どもも含まれていた。遺体を共同墓地に埋葬した男性らは、遺体の多くが背後から銃で撃たれていたと証言。建物の地下室で殺害されていた人々も、ひざまずいて目隠しをされた状態で背後から撃たれており、拷問の形跡が見られたと話している。
聖アンドリア教会のアンドリー・ハラビン司祭は、ロシア軍による占拠以来、200人以上を埋葬したが、そのうち75人は身元が分からなかったという。それでもCBSの取材には、「神は一人一人の名前を知っています。神にとっては、彼らが生きていようが、死んでいようが関係ありません。神にとっては、全ての人が生きているのです。キリスト者として、われわれは死後の復活を信じています。それ故、神にとって違いはないのです」と語っている。
岸田首相はゼレンスキー大統領との共同記者会見で、ウクライナに殺傷能力のない装備品を支援するため、北大西洋条約機構(NATO)の基金を通じ、3千万ドル(約40億円)を拠出することを表明した。また、エネルギー分野などでの新たな無償支援として4億7千万ドル(約620億円)を供与することも明らかにした。
一方、ゼレンスキー大統領は、日本について「国際秩序の守護者でウクライナの昔からの友人」と述べ、5月に広島で開かれる主要7カ国首脳会議(G7サミット)にオンラインで参加する意向を明らかにした。
岸田首相は現地時間21日夜(日本時間22日朝)にキーウ中心部の駅を列車で出発。23日朝には日本に到着する予定。