ひとりの使者がダビデのところにきて、「イスラエルの人々の心はアブサロムに従いました」と言った。 ダビデは、自分と一緒にエルサレムにいるすべての家来に言った、「立て、われわれは逃げよう。そうしなければアブサロムの前からのがれることはできなくなるであろう。急いで行くがよい。さもないと、彼らが急ぎ追いついて、われわれに害をこうむらせ、つるぎをもって町を撃つであろう」。 (2サムエル15:13、14)
アブサロムがダビデの王位を奪うための陰謀は成功し、彼の支持者が増加しました。それを耳にしたダビデは、身の危険から恐れを感じ、家来を連れて逃げました。
聖書は、悪しき者は追う人もないのに逃げ、正しい人はライオンのように大胆だと教えています(参照・箴言28:1)。ダビデはこの時、逃げるのではなく、大胆に神のご計画に従うという選択もできたでしょう。
このように、不安や恐れを感じる出来事に直面したとき、どうすれば正しい選択ができるでしょうか。
1. 悪魔に対し、私たちの足元に留まるよう命じる。
無意識のうちに、悪魔が霊の世界でその力を発揮すること(参照・エペソ6:12)を許すなら、私たちがいくら正しい選択を試みても、うまくいかないことがあります。
このような状況に直面したときは、悪魔に対し、私たちの足元に留まるよう命じ(参照・マタイ4:10)、神様によって破壊されていることを告白し続けることが大切です(参照・ローマ16:20)。
これは霊の世界の戦いです。実際に、私たちがいくら考えてもうまくいかないことがあります。単にネガティブな思考をポジティブな思考に置き換えるといったレベルでは、解決できないことがあるのです。
2. その場を去る選択が正しいか、検証してみる。
危険が近づいたときにはまず、その場にとどまり、神様の導きを信じて期待しましょう(参照・詩編46:10)。実際には危険がないのに、耳や目から入る情報だけで自分を追い込み、神様が喜ばれない選択をしていることが多いのです。目に見える状況によってではなく、信仰によって選択することが大切です(参照・2コリント5:7)。
3. 不安や恐れの感情ではなく、愛の信仰を選択する。
キリストはゲツセマネの園で、感情的には十字架にかかることを嫌がりました。しかし、神のご計画がなされるようにと3回祈り、十字架へと前進しました(参照・マタイ26:39〜46)。感情ではなく、信仰によって歩むことを選択したのです。
私たちの生活は、選択の連続です。意識して信仰によって選択し続けることが大切です。起床から就寝まで、神様が喜ばれることを選択し続けることが重要なのです。
気分を害するようなことをされたとき、相手を恨み、ずっと根に持つという選択もできます。しかし、寛容になることを信仰によって選択し(参照・箴言19:11)、相手にどのように愛を示し、祝福を与えられるかを考えることもできるのです(参照・1ヨハネ4:19、ローマ12:21)。
キリストは、自分を愛してくれる人を愛したからといって、何の価値があるのかと私たちに問いかけています(参照・マタイ5:46、47)。たとえ感情的には難しさがあっても、正しい選択をし続けることが大切です。その愛は、恐れをも締め出すのです(参照・1ヨハネ4:18)。
私は毎日、次のように告白します。「ゲツセマネの園のキリストのように、私は感情ではなく信仰を選択し、私の気分を害した人々を愛し、赦(ゆる)します。そして、その愛は恐れをも締め出します」
今日も私たちの心を守る選択をし続けましょう(参照・箴言4:23)。神様が喜ばれる信仰の選択をし続けることです。感情的になり、無意識のうちに選択している悪を善で克服し、勝利し続け、大胆に信仰生活を歩み通しましょう。
GOD BLESS YOU!
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