「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない」(ヘブル4:7)
「一筆啓上。火の用心。お仙泣かすな。馬肥やせ」“日本一短い手紙” といわれています。
本多重次という武将が長篠の戦い(1575年)の陣中から妻に宛てた手紙です。「お仙」とは息子の仙千代のことで、後に福井の丸岡藩主となる本多成重のことです。
現在、丸岡城にこの手紙文が刻まれた石碑が建っています。これにちなんで福井県丸岡町では「日本一短い手紙」を全国から募集しています。その中の往復書簡の部の作品をいくつか紹介します。
(1)【娘から母へ】
「お母さんへ、私はしばらく家出をします。さがさないで下さい」
【母から娘へ】
「いってらっしゃい、晩ごはんまでには帰ってくるのよ。今日はハンバーグだからね」
(2)【息子から母へ】
「いつもお弁当ありがとう。おかげで部活時絶好調です」
【母から息子へ】
「ありがとう。でもよくインスタント食品で絶好調になるわね」
(3)【息子から父へ】
「オレのテストの成績が悪いのはオヤジの遺伝のせいやと思ってるんやけど」
【父から息子へ】
「失礼な奴や。あとで二階へ来い。お母さんの成績表みせたる」
(4)【夫から妻へ】
「お前は判断力がない」
【妻から夫へ】
「だからあなたと結婚してしまいました」
(5)【元夫から元妻へ】
「もう一度」
【元妻】
「もう二度と」
この世界には、天地万物を造られた創造者なる神がおられます。聖書は、この創造主なる神から私たち人間に宛てた「手紙」です。決して短い手紙ではありませんが、私たちにとって非常に重要なメッセージが書かれています。この送られてきたメッセージにどう返答するかによって、私たちの人生と永遠に大きな違いが生じます。
NHKのスペシャル番組「銀河の旅オデッセイ」の中で、「われわれの銀河系には、太陽のような恒星が百億あり、宇宙にはそうした銀河系が2千億以上ある」と説明し、その宇宙の広大さをコンピューターグラフィックで見せながら、ニュートンやアインシュタインに並び称せられる理論物理学者ホーキング博士を登場させます。
そしてホーキング博士は言います。「私たちは、ちっぽけな惑星の目立たない生き者だ。宇宙には、数え切れないほどの星や銀河があるのだから、神は私たちの存在を気にかけるどころか、私たちの存在すら知らないだろう」
広大な宇宙のことを考えると、ホーキング博士の言う通り、星の数にも入らないような地球などに、神が目を留められるはずがないという気がしてきます。まして、その星くずの表面を二本足で歩く80億の生物の個々の悩みなどに、いちいちかまっている暇などないだろうと思えます。
しかし、ホーキング博士のような人には信じられないでしょうが、「無に等しい人間のために、神がその独り子キリストを与えるほど愛し、日常のささいなことにまで関わってくださる」というのが聖書のメッセージです。
この2千年の間、聖書が訂正されたり、新しい真理が書き加えられるということは一度もありませんでした。しかし、科学の教科書は毎年訂正されています。ホーキング博士の信じている宇宙理論もいずれ過去のものとなるでしょう。
人類の知恵はどこまでいっても完成されることはありません。そして、人間の気苦労や不安、悲しみに最終的な解決はありません。本当の「知恵」とは、この広大な宇宙が創造者なる神によって創造されたことを知ること。そして、その神が私たち一人一人を愛しておられ、その愛が分かったとき、人生が完成することを知ることです。
それを証明する米ニュージャージー州にお住いのファーン・マクビーさんの体験談を紹介します。
「私はフィラデルフィアの出身ですが、家庭はアルコール漬けでした。母は私が5歳の時に肺がんで亡くなり、姉妹は皆里子に出されました。私たちは家から家へとたらい回しにされました。その後、私はトランスワールド航空会社(TWA)の客室乗務員として勤務を始めましたが、それが私と聖書との関わりの起因となったのです。
ある日、乗務していたシカゴ行きのフライトが、天候不良で着陸を見合わせていました。
お客様の安全を確かめながら通路を進んでいると、シートをうまく操作できないでいる目の不自由な方に気が付きました。私は近づいて『何かお手伝いできることがありますか』と声をかけますと、その方は『聖書を持ってきて読んでほしい』とおっしゃいました。
私はマガジンラックの所へ行って聖書を取り、お客様の所に戻り、『どこを読みましょうか』と尋ねました。聖書になじんでいなかった私は、お客様に教えていただきながら、希望の箇所にたどりつきました。そこを読み終わると、お客様は大層喜ばれ、私は聖書を元の所に戻しました。
その日から私にとって、聖書が気になる書物となりました。そして聖書を手に入れて、自分で読み始めたのですが、よく理解できずに自分の車の後部座席に置いておきました。
ある日、一人の友人がその聖書に目を留め、私の人生を変える質問をしたのです。『もし、今死んだらあなたは天国へ行くのか、それとも地獄へ行くのか』。私は自分の人生を振り返ってみれば、天国へ行ける確信などありませんでしたから、『行きたくはないけど、多分地獄へ行くと思う』と答えました。
すると友人はハッキリと『あなたは地獄へ行く必要はない』と言って、聖書の箇所を引用しながらその理由を説明してくれました。神は、私たちの罪の赦(ゆる)しのために独り子イエス・キリストを送り、十字架につけるほどに私たちを愛してくださったと教えてくれたのです。私はその日イエスに心を開き、私自身の救い主として受け入れたのです」
彼女の体験からも分かりますように、私たちが創造者なる神からの手紙(メッセージ)にどう返答するかによって、私たちの人生は大きく違ってきます。まさしく、私たちがどんな人生と永遠を生きるかは、神からのメッセージに対する返答次第なのです。
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