「機会を十分に活かし、知恵をもって行動しなさい」(コロサイ4:5)
米国南部の低湿地帯をハリケーンが襲い、川が氾濫して海水もあふれ、町に流れ込んできました。ある男が、屋根の上に避難しました。水は軒先まで達しています。そこに、救助のカヌーが近づいてきて、言います。
「早く、こっちに移ってください」。すると、その男は言います。「まだ大丈夫です。私には神様がついてますから」
さらに水位は増し、屋根まで達しました。そこに救助のモーターボートがやってきて、言います。
「助けに来ました」。すると男は言います。「大丈夫です。私には神様がついてますから」
水はやがて屋根を覆い、彼の膝にまで達します。そこにヘリコプターが飛んできて、言います。
「早く縄ばしごを登ってきなさい」。しかし男は言います。「大丈夫です。私には神様がついてますから」
水位はさらに上がり、とうとう彼は溺れて死んでしまいました。死んだ男は天国へ行き、神様に文句を言いました。「私はあなたの助けをズーッと待っていたのに どうして助けに来てくださらなかったのですか」
すると神様は言われました。「おまえは分かっていない。わたしはお前のためにカヌーとモーターボートとヘリコプターを送り、3度も救いの手を伸ばしたのに、お前はいずれも拒否したではないか」
もしかしたら私たちも、神の助けの御手をそうとは知らずに無視してしまったことがあるかもしれません。聖書の中には、最初で最後のチャンスかもしれない神の助けの御手を、しっかりとつかんだ人のことが記録されています。
ある町でのことです。ツァラアト(重い皮膚病)患者の男が、イエス・キリストに出会います。彼はイエスを見ると、ひれ伏してお願いします。「主よ、お心一つで私をきよくしていただけます」
当時のユダヤ教の宗教規定では、「ツァラアト」と診断された人は人里離れた場所に隔離されて住み、どうしても外出する必要が生じたときは「私は汚れた者です、汚れています」と叫ばなければならないと定められていました。
つまり、通常は隔離されているはずの人が、大胆にも人混みに出てきて、イエスの前にひれ伏したのです。このことだけでも、この人は大変に大胆な行動をとったことが分かります。
何が彼に、この大胆な行動をとらせたのでしょうか。彼はイエスに対して告白しています。「主よ、お心一つで私をきよくしていただけます」。彼の告白から分かることは、イエス・キリストは自分の病気を癒やす力を持つ方であると信じていたということです。
そして、隔離生活を強いられているこの人がイエスに出会えるのは、一生一回限り、この時だけだった可能性があります。彼は、人生における一回限りのチャンスを絶対に逃したくなかったのです。
彼は「このチャンスを逃したら、自分は一生隔離されたままだ。家族にも友人にも二度と会うことができない」と思ったのです。ですから、彼は必死にイエスに願ったのです。
私たちの人生にも、同じことが起こるかもしれません。神が用意された人生一回限りのチャンスです。ボーッとしていたためにつかみ損ねてしまうことがあるのです。後からそれと気付いて追いかけていっても「チャンスの後ろ頭ははげている」ので、もはやつかむことができないのです。
神が私たちのために用意されたチャンスを逃さないために、私たちにできることは何でしょうか。
「目を覚まして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい」(コロサイ4:2)
ある大学生の体験です。友人たちが次々と就職の内定をもらっているのに、自分の就職活動は思うように進んでいません。「また神様が何とかしてくださるだろう」とのんきに構えていたのですが、さすがに年が明けると不安になってきました。
そんな時、気が付いたのです。「そういえば、就職について真剣に祈ったことがなかったな」。それで反省し、一日断食をして真剣に祈ったのです。
次の日大学に行くと、担当の教授から「ある会社から追加の求人募集が来ているから、明日面接に行きなさい」と言われたのです。彼は全ての予定をキャンセルして面接を受けに行きました。実はその会社は、彼が希望していた会社の一つだったのです。面接の数日後に、めでたく内定をもらったのです。
チャンスには前髪しかないので、来たらパッとつかめるように、私たちは真剣に祈りながら目を覚ましている必要があるのです。
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