「ただひとり 大いなる不思議を行われる方に。主の恵みはとこしえまで」(詩篇136:4)
一人の日本人が米国の地下鉄の切符売場で、ニューヨーク行きの切符を買おうとして「to New York」と言うと、切符が2枚出てきました。
「to じゃなく for か」と思い直して「for New York」と言うと、今度は4枚出てきました。
「to でも for でも通じない。じゃー何と言えば・・・えーとー、えーとー」と考え込んでいると、8枚出てきました。彼は慌てて「No! No!」と大声で叫びました。
あまり大声で叫んだため、入れ歯が外れて飛び出しました。「あー!入れ歯、入れ歯」と叫んだら、11枚出てきました。
聖書に記録されている最初のクリスマス物語を読むときに、もし入れ歯をしている人がいたら、入れ歯が何度も飛び出しそうな、びっくりする出来事の連続です。
不妊であった高齢の女性エリザベツ(バプテスマのヨハネの母)の妊娠と出産。そして「マリヤは月が満ちて男子の初子を産んだ」という処女マリアの妊娠と出産です。
救い主の誕生こそ、神がいかに私たち人間を愛し、深く関わってくださる方であるかを証明しています。神はまさしく「不思議を行われる神」と呼ばれるように、さまざまな不思議なことをしてくださるのです。
神は今日も人類全体の歴史だけでなく、私たち一人一人の人生にも働きかけてくださっているのです。私たちが心を開いてその神の働きかけを受け入れるとき、神の不思議が私たちの人生にも起こってくるのです。
これはニューヨークのスラム街にある教会で起こった物語です。
長い間、礼拝が行われずに廃墟のようになっていた小さな教会に、牧師が新しく赴任してきました。クリスマスイブから礼拝を再開しようと、牧師は会堂を整頓し、表に案内を掲げました。
ところが嵐が来て、礼拝堂の正面の壁に大きな穴が開いてしまいました。クリスマスイブの午後に、牧師はガレージセールで手製のテーブルクロスを見つけました。真ん中に十字架の模様が編み込まれています。穴を隠すのにちょうどよいと購入し、急いで教会に戻りました。
辺りはすでに暗くなり、雪が降り始めていました。教会の前のバス停で一人の老婦人がバスを待っていました。牧師は暖かい礼拝堂でバスを待ってもらおうと、中に招き入れました。
牧師が、手に入れてきたテーブルクロスを壁に貼っていると、老婦人はそれをじーっと見つめていましたが、やがて牧師に訪ねます。「そのテーブルクロスの右下の所に、E.B.G. というイニシャルはありませんか」
牧師が「ありますけど」と言うと、その老婦人は興奮して言いました。「それは私が編んだテーブルクロスです。35年前に夫と私はオーストリアに住んでいました。夫と私は別々にナチスに捕らえられて、それ以来夫とは一度も会えませんでした。多分、夫はもう死んでいると思います」
牧師がテーブルクロスを返そうとすると、老婦人は言います。「いいえ、それはそこにあるのが一番です。私からのプレゼントということにしてください」
そこで牧師はお礼として、彼女をアパートまで送っていきました。
さて、クリスマスイブの礼拝が始まり、多くの人々が集まりました。礼拝が終わり、皆が帰った後、一人の老人が席にまだ座っています。そして彼は、壁のテーブルクロスを指さして牧師に尋ねます。「あのテーブルクロスの右下に E.B.G. というイニシャルはありませんか。もしあったら、私の妻が編んだものです。妻はナチスに連れて行かれ、私たちは離れ離れになってしまいました。多分妻はもう死んでいると思います」
今度は牧師が興奮する番です。「奥様は生きておられます。さあ、会いに行きましょう」。アパートに着き、玄関のドアが開いたとき、35年ぶりの涙と喜びの再開がそこにありました。
私たちを愛し、私たちのために独り子を与えてくださった主なる神は、今日も私たちの人生に働きかけて不思議なことをしてくださるのです。私たちが心を開いて、私たちの心と人生に受け入れるなら、私たちの人生にも不思議なことが次々と起こり始めます。
人はそれを奇跡というかもしれません。しかし「不思議を行われる神」と共に人生を歩むのですから、それは当然のことなのです。入れ歯をしている人は気を付けて!
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