「金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に沈める、愚かで有害な多くの欲望に陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは金銭を追い求めたために、信仰から迷い出て、多くの苦痛で自分を刺し貫きました」(1テモテ6:9、10)
日本昔ばなし『鶴の恩返し』の現代版を紹介します。若者が助けた鶴が、美しい娘に姿を変えてお礼にやってきました。(ここまでは今までと一緒です)
「私がいいと言うまで絶対戸を開けてはいけません」。そう言い残して娘は隣の部屋に入り、戸を閉めました。
部屋の中から何やらガサゴソ音が聞こえてきます。「きっと恩返しの仕事をしているんだろう」と思いながら、若者はワクワクしながら待っています。
ところが、3日目にパタリと声がしなくなりました。「どうしたんだろう?」と思い、戸をそっと開けてのぞいて見てびっくりです。
部屋はもぬけの殻。急いで外へ飛び出して見ると、その鳥は部屋の中にあった現金や預金通帳、実印などをゴッソリ抱えて、西の空高く飛んで行くところでした。
その時、若者は叫びました。「あの鳥は鶴ではなかった。鷺(さぎ)だった!」
現代社会でも詐欺師が横行し、人々の心の隙間に入り込もうとしています。実は、私たちの心に働きかける目に見えない詐欺師がいて、私たちを悪へと誘惑してきます。聖書はそれを「悪魔」と呼んでいます。
ある時、イエス・キリストもこの悪魔の誘惑にあわれます。それに対してイエスはどう対処されたのでしょうか。
悪魔はイエスに言います。「あなたが神の子なら、この石をパンになれと言いつけなさい」。ここで「神の子なら」と訳されている表現は「ひょっとして、万一、神の子だったら」という仮定文ではなく、「あなたは神の子なのだから」という事実に基づく条件文です。
「ヨルダン川で洗礼を受けたとき、天から声がして『あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ』と言ってもらったように、あなたは事実神の子なのだから何でもできるし、何をしてもいいはずだ。空腹を覚えているのだから、この石をパンに変えて食べたらどうだ」と悪魔は言ってきたのです。
それに対するイエスは〈申命記8章3節〉の言葉を引用して「『人はパンだけで生きるのではなく神の口から出る一つ一つの言葉による』と書いてある」と答えられたのです。
「パン」とは、富やお金の象徴です。現代社会はまるで、誰も彼も「パン」を求めて必死に走る「パン食い競争」の参加者のようです。「パン」は確かに大切です。必要です。イエス・キリストも「パンはいらない」とは言っていません。「人はパンだけでは生きられない」と言われたのです。
「パンは大切だ。しかしそれだけでは、人は真の意味では生きられない。神の言葉によって生かされていく必要がある」と言われたのです。
米国の大富豪ジョン・ロックフェラー(1839〜1937)は、かつて全米の石油業の95パーセントを支配した大実業家でした。
貧しい行商人の子として育った彼は、青年の時から野心に満ち、「自分のため、お金のため」というモットーのもとに必死に働き、無一文から20代で独立。30代でオハイオ・スタンダード石油会社を設立。40代で鉄道会社と企業合併し、米国の製油能力の90パーセント以上を支配し、大富豪となりました。
彼は「自分のため、お金のため」というモットーのもとに、1ドルでも余計にもうけるために従業員や商売相手から情け容赦なく搾取してきました。そのため、彼の持つ富に膝をかがめても、彼自身を愛する人や尊敬する人は一人もいませんでした。
50歳を過ぎた頃、彼は精神的に病むようになりました。極度のノイローゼに陥り、食欲はなく、来る日も来る日もミルクでクラッカーをようやく流し込み、夜は眠られず妄想に襲われました。
このどん底の苦しみの中で、彼は気が付いたのです。「自分のため、お金のため」という生き方は間違っていることを。彼は自分のそれまでの生き方を悔い改め、イエス・キリストを信じます。こうして彼の第2の人生が始まったのです。
第2の人生のモットーは「受けるより与える方が幸いです」というイエス・キリストの言葉でした。彼はビジネスの第一線を退くと財団を作り、慈善事業に全精力を傾け始めました。彼の設立した財団を通して、今日も多くの人々が恩恵を受けているのです。
ロックフェラーは自己中心の生き方から神中心の生き方に変えたとき、本当の意味で「生きる者」となったのです。私たちも「自分のため、お金のため」という「パン食い競争の人生」から離脱して、「神のため、人のため」という「神の言葉によって生きる人生」へと乗り換えましょう。
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