「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい」(2テモテ4:2)
3歳の娘が、母親の髪の毛をしばらくジーッと見て言いました。「ママの髪の毛の中に、白い色の毛が少しあるけど、どうしてなの?」
母親は答えました。「白い毛は白髪と言ってね、娘が母親に心配をかけるたびに1本ずつ増えるのよ。だからあんたは、いい子でいてね」
すると娘は、納得したように言いました。「それでおばあちゃんの髪の毛は、真っ白なんだね」
このお母さん、「やぶへび」だったようです。「やぶへび」とは、「余計な手出しをして、かえって災いを招くこと」という意味ですが、イエス・キリストの「あなたがたは行ってあらゆる国の人々を弟子としなさい」という命令を実行するには、良い意味での「やぶへび」が必要かもしれません。
心の中に大きな暗闇(不安、恐れ、憎しみ、嫉妬、空しさ、罪責感)を抱えながらも、解決の道が分からず、悶々(もんもん)としている人や、その大きな暗闇にすら気付かないで自己満足に陥り、滅びの道を歩んでいる人には、外からの助けや刺激が必要です。
人の心の「やぶ」をつついて、その中に住み着いている暗闇という「蛇」を追い出す必要があるのです。
イエス・キリストの福音宣教の歴史とは、やぶをつついて蛇を出した歴史ともいえるでしょう。南米のエクアドルにアウカ族が住んでいます。アウカとは「野蛮」という意味です。アウカ族の社会では、村同士で絶えず殺し合いがあり、10人のうち6人が殺されていました。
この憎しみと怒りに満ちた社会を恐れて、外の世界の人々は長い間、誰も近付こうとしませんでした。ところが1952年、ジム・エリオットという米国人宣教師がアウカ族に福音を届けようと立ち上がりました。つまり、アウカ族という「やぶ」をつつき始めたのです。
生命の危険を承知の上で、少しずつアウカ族へのアプローチを始めました。最初は小型飛行機で、食べ物や彼らがプレゼントとして受け取ってくれそうな物を投下しました。しばらくこれを続けた後に、他の宣教師と共に村のそばまで歩いて、村人との会話を試しました。何とか簡単なあいさつが交わせ、少し意思の疎通が図られるようになりました。
そこで1956年1月、ジム・エリオットを含む5人の宣教師たちはアウカ族のジャングルに入っていきました。しかし、彼らは間もなく消息を絶ってしまったのです。行方不明になった彼らを捜索隊が探しにジャングルに入っていったのですが、無残にも惨殺された5人の遺体を発見したのです。
世界中の人々を震撼させたニュースでした。しかしその後、世界中の人々をもっと驚かせるニュースが報道されました。
事件から2年後、殺されたジム・エリオットの妻エリザベスおよび、エリオットと共に殉教したネート・セイントの妻マーシュが、幼い子どもを連れて再びジャングルに入り、アウカ族の人々と一緒に住むようになったからです。そして、少しずつ彼らの言葉を学びながら福音を伝えていきました。すると、驚くことにイエス・キリストを信じる人々が続出し、村では殺し合いが無くなったのです。
実は、アウカ族の人々が彼女たちを受け入れた大きな理由があったのです。殉教した5人の宣教師たちは、アウカ族に襲撃されたとき、銃を持っていたのに誰も抵抗しなかったのです。宣教師たちは、ジャングルに住む野獣から身を守るためにライフル銃を持っていましたが、アウカ族が槍を持って襲ってきたときには、誰も銃を撃とうとはしなかったのです。
これが、アウカ族の男たちの心に大きな衝撃を与えたのです。「彼らは敵ではなく、友人として来ようとしていたのだ」と悟ったのです。このために、彼らの妻や子どもたちは受け入れられたのです。
2006年2月に、この実話が映画「ジャングルの殉教者」になりました。この映画を紹介するテレビ番組があり、殺された宣教師の息子のスティーブと、彼の父親を殺したミンカイエが一緒に出演していました。
かつて宣教師を殺した男が、今はキリストの救いにあずかり、本当に明るく喜びに満ちた穏やかな表情をしていました。そして、彼がどのようにして信仰を持ったかを話しました。
ある晩、彼は一人の婦人宣教師を訪ねて聞きます。「あなた方が言っている神は、そんなに力がある方なのか」。宣教師は答えます。「創造主なる神は全てを造られた偉大な方です。あなたもこの方によって造られ、愛されているのですよ」。そして、彼女は彼のために祈りました。
次の朝、ミンカイエはニコニコしながら宣教師の所に来て言いました。「あなたが言ったことは本当だった。今朝起きたら、私の心は雲一つない青空のように澄み切っている。イエスは本当の神だ」。こうして多くのアウカ族の人々が、イエス・キリストを信じていったのです。
かつての「憎しみと殺人の村」は、「愛と赦(ゆる)しの村」へと変えられていったのです。あなたも誰かの心の「やぶ」を、「神の言葉」という棒で突いてみませんか。きっと、何かが始まります。
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