「イエスは言われた。『わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません』」(ヨハネ6:35)
ある人がピザ屋に立ち寄り、テイクアウト(持ち帰り)のピザを注文しました。お店の人が言いました。「ピザをカットして差し上げますが、6ピースにしますか。それとも8ピースにしますか」
するとこの人は少し考えてから答えました。「6ピースでお願いします。多分1人で8ピースは食べられないと思いますので」
ヨハネの福音書の18、19章には、ユダヤ総督ポンテオ・ピラトとユダヤ人の宗教的指導者たちがイエス・キリストを捕らえて、どう処分しようかと相談している様子が描かれています。つまり「いのちのピザ」ならぬ「いのちのパン」であるイエス・キリストをどう食べるか(どう信じるか)ではなく、どう切るか(どう殺すか)を思案しているのです。
ピラトはユダヤ地方の総督として、占領地の行政の一切をローマ皇帝より任されていました。いつもはカイザリヤに住んでいますが、ユダヤ人の過越の祭りで多くの人々がエルサレムに集まってきていたので、ピラトは軍隊と共に治安維持のためにエルサレムに来ていました。
ピラトには全力を挙げてエルサレムの治安を守らねばならない理由がありました。というのは、ピラトはサジェイナスという人物のとりなしによってユダヤ総督の地位を手に入れたのですが、そのサジェイナスがローマ皇帝テベリウスに謀反を企て、それが発覚し殺害されました。
ローマの元老院はサジェイナスの友人関係を調べ、彼と共謀した者はいないかと調査していました。ですからピラトは、ローマ皇帝に対する忠誠を疑われるような行動は何としても避けなければならなかったのです。
ユダヤ人の暴動など、決してあってはならないことでした。しかし、ピラトはイエスを尋問した結果、ユダヤ人たちの訴えが悪意とうそで塗り固められたものであることをすぐに見抜きました。ですから、ピラトは何度もユダヤ人に対して「イエスは無罪である」と宣告します。そして、ピラトはイエスを釈放しようと努力します。
しかしユダヤ人の怒りが収まらないのを見て、ピラトはイエスをむち打ちにしました。このむちは「ローマ式のむち打ち」でした。ローマ式のむちは先が幾つも分かれていて、その先にそれぞれ鉛や釘、動物の骨が埋め込んであり、それで打たれると背中の皮は裂け、肉片が飛び散り骨は砕かれます。
ローマ式むちはしばしば人を死に至らせることもありました。当時の文献によれば、むちを受けた人の顔は家族でも見分けがつかなくなるほどだったそうです。
ピラトは、むち打たれ、ひどく傷ついたイエスをユダヤ人群衆の前に引き出して、彼らの同情と憐(あわ)れみを誘おうとしました。「どうだ!これだけひどくむち打てばお前たちの気も済んだだろう!」さらに、ピラトは一つの提案をします。
「過越の祭りには、ひとりの犯罪人を釈放する習わしになっている。このイエスを釈放しよう」。しかし群衆は「この人ではない。バラバだ」とますます激しく叫び出しました。
そこでピラトは、自分では手の施しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、イエスを十字架につけるために彼らに引き渡しました。ピラトは、自分の目の前に立つイエスは無罪だと確信するだけでなく、真理であり自分の人生にとっても重要な存在だと気付きながらも、群衆を恐れ、自分の地位を失うことを恐れ、死刑の命令を下したのです。
ここにピラトの悲劇があります。ピラトは「いのちのパン」を食べ損なった人です。歴史家エウセビオスによれば、ピラトはこの数年後に自殺しています。
柳田邦男著『ガン50人の勇気』の中に、作家の中山義秀さんがどのような最期を迎えたかがつづられています。
「主治医だった虎の門病院の浅井一太郎院長によると、中山氏は連日大量の輸血を受けながらも病床で本を読んでいた。そして死の五日前には心を決めたのか看護師に対し早々と『大変お世話になりました』と別れの挨拶をしていた。最後の日曜日・・・中山氏は見舞いに現れた門馬氏にいきなり酸素テントの中から『洗礼をやってくれ』と言った。門馬氏は牧師だったが、あまりの突然さに『そうか、その気になったらいつでもしてやるけど、まあ今日、明日ということもないだろう』と答えた。・・・中山氏は真剣な表情で言い返した。『おれが今日、明日に死ぬかも知れないのはわかっている。間に合わないといけない。いますぐやってもらいたいから君を呼んだんだ』・・・『洗礼を受けたか受けないかは、おれにとって大変な違い。天と地ほどの違いがある。洗礼を受けたという事実をおれは頼りにしたい。頼むからおれの力になってくれ』・・・洗礼が済むと中山氏は明るい顔になり『広い世界が目の前に開けたようだな』と言った。・・・すべてが済んで、門馬氏が帰るとき、門馬氏の目に中山氏の元気が出たような明るい顔が映った。すでに外は暗くなっていた。中山氏は翌日意識不明に陥り、世を去った」
この中山氏という人物がどんな生涯を歩んできたのかは分かりませんが、彼が人生の危機に「いのちのパン」であるイエス・キリストを食べる(信じる)ことで救いにあずかり、天国の門をくぐることができたのです。
想像するに、中山氏はこれまで門馬牧師に何度も信仰をしっかり持つように勧められたに違いありません。そのたびに心が揺れたのでしょう。ピラトのように。しかしピラトとの決定的な違いは、ピラトは「いのちのパン」を食べ損なったのに対して、中山氏は「いのちのパン」をしっかり食べたのです。
「いのちのパン」を食べた人の幸いと食べ損なった人の不幸がここにあります。
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