「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(1ヨハネ4:10)
昔、米国で2ドル紙幣が発行されましたが、大変不評ですぐに発行中止になりました。ところが、マニアの間では値上がりを期待し、2ドル紙幣の争奪戦が始まりました。
一人の青年も値上がりを期待し、さまざまな方法でかき集めました。友人に譲ってもらったり、銀行で両替をしたり、苦労に苦労を重ね、やっと100枚の2ドル紙幣を手に入れました。
彼は、この200ドルを母親に渡して頼みました。「お母さん、これは大切なお金だから、誰にも盗まれない所に保管しておいて」。母親は快く引き受けてくれました。
それからしばらくして、彼が母親に「あのお金どうした?」と聞くと、「大丈夫よ、誰にも盗まれないように銀行に預金してあるから」。
この母親は、息子の意図を全く理解していなかったのです。母親の行為は善意から出たものでしたが、息子のメッセージを正しく理解できなかったために、結果的に息子を悲しませてしまったのです。
実はこれと同様のことが、私たちと神様との間にも起こり得るのです。ある人は神を喜ばせようとして、良い業(わざ)に励もうとします。しかし、私たち不完全な人間がする中途半端な良い業で、神に100パーセント満足していただくことなどできません。
この人間の側の良き業で神に喜んでいただこうとする試みこそが、「宗教」です。「宗教」で人は救われません。救いは、神の側からの一方的な恵みの働きかけを、信仰によって受け取る人々に与えられるものです。
良き業を成して神に喜んでいただこうとする心は善意から出たものですが、残念ながらそれは、逆に神を悲しませることになるのです。神はまず先に私たちを愛し、私たちの救いのために御子イエスを遣わし、十字架と復活を通して私たちの救いを完成させてくださったのです。信仰生活は、この神の愛に対する感謝と賛美の応答をもって始まるものなのです。
カナダ人牧師バリー・アダムスは、以前は「神の愛を得るただ一つの方法は、熱心に奉仕し、多くのことを達成することである」と思っていました。そして、300人の信徒を牧会しているうちに行き詰まりを覚えました。
ある集会に参加したとき、若い牧師がバリーのために祈ってくれました。そして、バリーにこう告げました。「私は今一つの絵を見ています。あなたは赤ん坊で、神はあなたのお父さんです」。別の集会に参加したときも、講師の牧師が「もっと神の愛を深く知るように」と祈ってくれました。
その時、バリーは「神の温かい御腕が私を包み、愛を求めても得られなかった幼少期の頃の心の傷に触れてくれました」と語っています。その後、聖書をあらためて読むと、至る所に父なる神の愛を発見したのです。そして「聖書の言葉を秩序をもって並べるなら、聖書は神から世界の人々へのラブレターになる」というインスピレーションを受けました。
早速、創世記から黙示録までの中から57の聖句を拾い出して「父からのラブレター」を編集したのです。バリーは1999年11月にウェブサイト「ファーザーズ・ラブレター」を立ち上げ、無料でダウンロードできるサービスを開始しました。今日までに数百万回ダウンロードされ、世界中の人々に紹介されてきました。
信仰生活の第一歩は、神の豊かな愛に触れることです。「父からのラブレター」を、あなたにも紹介します。下記のサイトで閲覧できます。
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