「それが良くても悪くても、私たちは、あなたを遣わされた私たちの神、主の御声に聞き従います。私たちの神、主の御声に聞き従って幸せを得るためです」(エレミヤ書42:6)
耳の遠い老夫婦の会話です。
「おばあさんや、今、家の前を通ったのは隣の山田さんじゃないかい?」「いやですよ、おじいさん。今通ったのは隣の山田さんですよー」。「ほう、そうかい。わしはてっきり隣の山田さんかと思ったわい」
2人の会話から、今、家の前を通ったのはどうやら隣の山田さんだったらしいことは分かりますが、2人の会話は全く噛み合っていません。
耳が遠いという理由だけではなく、しばしば人と人との会話が噛み合わないということが起こります。人と人との会話が成立しないのも悲しいことですが、もっと悲しいことがあります。それは神と私たちの間に会話が成立しないことです。つまり、神の言葉が信じられない状況に陥ることです。
神は私たちに言われます。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)。しかしある人は「自分には価値がない。神がこんな自分を愛してくれるはずがない」と否定します。
三浦綾子さんの『忘れえぬ言葉』という本の中に、次のようなエピソードが紹介されています。
綾子さんがまだ病床にいるとき、一人の青年(後に結婚する三浦光世さん)が訪ねてきました。その当時の綾子さんは、食事もトイレも何もかもベッドの上でしなければならない状況でした。彼女は、自分は何の役にも立たない存在で、むしろいない方がいいと思っていたのです。病気もいつ治るという保証もなく、肺結核も良くなっておらず、時々血を吐くこともあったのです。
ところが、そんな綾子さんに三浦光世さんは言ったのです。
「あなたは今に大きな仕事をする人だから」
綾子さんは「この人は一体何を言っているのだろう」と初めは驚き、あきれていたけれど、彼が繰り返し繰り返しそう言っているうちに、不思議なことに綾子さんも段々その気になっていったのです。「私にどんなことができるのか見当もつかない。しかし、私は神の全能を信じたのです。そして、生きているのが楽しくなったのです」と綾子さんは言っています。
2人は出会って5年目に結婚します。その後、綾子さんは小説家「三浦綾子」として多くの作品を世に出していくのです。
結婚してからも、光世さんは綾子さんを励まし続けます。私たちが忘れてはいけないのは、この光世さんの綾子さんに対する態度は、実は今日、神が私たち一人一人にしてくださっていることです。神はいつでも私たちに目を留め、心にかけてくださっているのです。
あなたは次の神からの語りかけに対して、どう答えますか。
「恐れるな。わたしがあなたを贖(あがな)ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの」(イザヤ43:1)
「わたしはあなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ」(イザヤ43:3)
「わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます」(ヨハネ4:14)
「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています」(ヨハネ5:24)
「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか」(ヨハネ11:25、26)
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません」(ヨハネ14:6)
これらの神からの語りかけに対してあなたが「はい、信じます」と答えるとき、神とあなたの会話が成立し、神の祝福があなたの人生に注がれるのです。ぜひ、神との会話を成立させてください。
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