「自分のものにならないのは、あなたがたが求めないからです」(ヤコブ4:2)
チョコレートチップクッキーの大好きな、3歳の少年の話です。
ある日、お母さんとスーパーマーケットへ行くことになりました。出かける前に、お母さんは息子に言い聞かせます。
「いい!今日はチョコレートチップクッキーは絶対に買わないからネ! 買って!って絶対に言わないでよ。約束できる?」「ウン! 約束するよ!」
しかし、約束はお菓子売り場の前を通るまででした。お菓子売り場のチョコレートチップクッキーをチラッと見た瞬間、もう我慢できません。
「お母さん、チョコレートチップクッキー買って!」
お母さんは言います。「ダメよ、絶対ダメ! 約束は約束よ!」
しかし、息子は諦めません。お菓子売り場の近くを通るたびに「買って」とせがみます。それでも今日のお母さんは負けません。「絶対にダメ!!」そして、お母さんはレジの方へ向かいました。
するとこの息子、何を思ったのか、カートの座席の上に立ち上がり、大声で叫んだのです。
「買い物中の皆さーん! イエス・キリストの御名によってお願いしまーす。ボクにチョコレートチップクッキーを恵んでくださーーい!」
すると周囲の人は大笑い。中には拍手をする人もいました。この大胆な要求のおかげで、この少年は心優しいお客さんたちから23箱のチョコレートチップクッキーを手にして家に帰ったのです。
これは米国のあるスーパーマーケットであった本当の話です。まあ、叫んだのが3歳の男の子だからかわいい笑い話で終わりますが、大人が叫んだらどうでしょうか。ちょっと恥しい、いや!かなり恥しい話です。
しかし、イエス・キリストは私たちに言われました。
「求めなさい、そうすれば与えられます」(マタイ7:7)
私たちはこの3歳の男の子のように、必死に神に何かを求めたことがあったでしょうか。
聖書の中に、イエスに必死になって助けを求めたために、必要なものを手に入れた人々のことが記録されています。イエス・キリストが公の活動を始めてまだ数カ月しかたっていないのに、すでにイエスの評判は広範囲に及んでいました。
「彼らはイエスの教えを聞くため、また病気を治してもらうために来ていた。汚れた霊に悩まされていた人たちも癒やしてもらっていた。群衆はみな何とかしてイエスにさわろうとしていた。イエスから力が出て、すべての人を癒やしていたからである」(ルカ6:18、19)
ここに「何とかしてイエスにさわろうとしていた」とあります。この「さわる」という言葉は単に、物理的にタッチするという意味以上の意味があります。
「イエスにさわろうとしていた」というのは「イエスとの霊的関係を切に求め続けた」ということです。ここに、神が私たちに求めておられる信仰の姿勢が示されています。私たちの方から積極的に神に近づき、神との親密な関係を求め続けるべきだということです。
旧約聖書の歴代誌第一4章に「ヤベツ」という人物が登場します。「ヤベツ」とは、「苦しみをつくる」とか「悲しみを生み出す」という意味です。一体どこの世界に、自分の子どもに「苦しみ」とか「悲しみ」という名前をつける親がいるでしょうか。
ちなみに、皆さんの中に、自分の名前の中に「苦」とか「悲」という漢字の入っている人はいらっしゃいますか。どうしてこの子は「ヤベツ」と名付けられたのでしょうか。
理由として「彼の母は、『私が悲しみのうちにこの子を産んだから』と言って」と紹介されています。彼が生まれる前に父親が突然亡くなったのか、難産の中に生まれたのか、あるいは重いハンディーを負って生まれたのかハッキリ分かりませんが、とにかくマイナスと思えるような状況から人生をスタートしたのです。
ヤベツはある時まで、自分のそういう状況を仕方ないと諦めて生きていたのではないでしょうか。しかし、彼は全能の神の存在を知ったとき、この神の祝福があれば、自分の人生は変わると確信したのです。
そして、大胆に神に近づき求めたのです。
「ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。『私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。』そこで神は彼の願ったことをかなえられた」(1歴代誌4:10)
ヤベツもまた、何とかして神に近づこうとした人物です。私たちもヤベツの信仰と祈りに倣いたいものです。
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