弱った手を強め、よろめくひざをしっかりさせよ。心騒ぐ者たちに言え。「強くあれ、恐れるな。見よ、あなたがたの神を。復讐が、神の報いが来る。神は来て、あなたがたを救われる」(イザヤ35:3、4)
私は特に体調不良を感じたわけではなかったのですが、2年前、健康診断を受けました。診断によると、病状はないけれども予兆が見られるので、気を付けたほうがいいということでした。メタボリック傾向で、血圧と血糖値が高めなので、体重を落としたほうがいいと言われ、ダイエットに取り組むことにしました。
手っ取り早い方法は、専門のトレーナーの指導を受けることなのですが、高額な費用がかかるということで断念しました。健康保険の適用範囲ということで、病院の栄養士の指導を受けました。また、保健所の無料相談も利用しました。無料のオンラインセミナーも受講し、私が取るべき食事量を計算することができました。
実は、私の大好物は白米飯と麵類なのですが、これがダイエットの大敵だそうです。無理して制限すると精神的苦痛になるということで、好きなだけ食べていいけれど、必ず丼一杯の千切りキャベツを食前に食べるという条件をつけました。そうするとキャベツでお腹いっぱいになり、いつの間にかあまり炭水化物を取らなくなっていました。また、朝ごはんを抜くプチ断食もしました。
急激な運動やランニングは心臓に負担になるということで、ひたすら歩くことにしました。バスに乗るときもわざわざもう一つ先の停留所まで歩きました。このようなことを繰り返しているうちに、ズボンが緩くなり、体重が減少していました。結局、1年間で12キロ減りました。そうすると、健康診断では特に指摘されることがなくなりました。
私の体は、神様からの預かり物であるという意識を持って、労り、感謝して、大切にしなければなりません。使徒パウロは、私たちの肉体は神の御霊が宿る神の神殿と教えています(1コリント3:16)。
ダイエットを勧められたときは、自分には無理かもしれないという弱い気持ちもありましたが、助けてくださる方々にも出会い、何とか実行できました。ダイエットの途中でお腹に斑点ができてしまい、温泉に行くのも恥ずかしいということがありました。医者や専門家に相談したところ、ビタミン不足ではないかということでビタミン剤を服用し、スキンオイルを塗ってみたら解消しました。それからは栄養バランスにも気を配るようにしています。
年をとり、体力が落ちてくると、自分のマイナスな要素を数えて弱気になることがありますが、神様は「弱った手を強くし、よろめくひざをしっかりさせよ」と叱咤(しった)激励されます。神様が「よし」とされるまでは使命を果たさなければなりません。
私の知人はステージ4のガンとなり、余命宣告を受けながらも、気持ちを切り替えて好きな釣りと旅行に専念した結果、病気を忘れたかのように生き生きとしています。人間の体には神様から委ねられた自然治癒力も備わっているといわれます。意識を高めることで、健康を取り戻すこともあるようです。
リベラル左派の勢いは間違った形で世界を牽引しようとしていると感じているのは、私だけなのでしょうか。再生可能エネルギーといいながら、山林を破壊し、太陽光発電を敷き詰めているのは理解できません。また、行き過ぎたLGBTの活動は、聖書に示されている秩序を破壊してしまいます。
英国ではイスラム教徒の移民が増え、郊外の教会がモスクになっているという話は前から聞いていましたが、最近、首相がヒンズー教徒、市長がイスラム教徒という例もあるようです。宗教の多様化は悪いことではないかもしれませんが、いずれ私たちのイメージする英国ではなくなるかもしれません。同じようなことはフランスでも起きていて、地方都市では教会が減少し、モスクが増えています。欧州全域にこのような傾向が見られます。
キリスト教国と思われていた米国でも、教育現場で聖書の話をすることが禁じられ、公共の場で祈ることをとがめられることもあります。世界的に反キリストのうねりが起ころうとしていますので、クリスチャンには厳しい試練の時かもしれません。
若者世代で宗教を軽視する傾向があるのは、日本だけではないように思います。宗教なくしてたましいの成長は望めないと思います。クリスチャンがリーダーシップを持って立ち上がる時が来ています。神の言葉に今ほど飢え渇いている時はないかもしれません。聖書の言葉こそ、全ての人を感化し、全ての宗教に通じるものです。
聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。(2テモテ3:16、17)
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