不条理なる死を不可知の光で中和せよ―キリスト教スピリチュアルケアとして―(40)
※ 前回「望んでいるようには死んでもらえない(その1)」から続く。
信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献(ささ)げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。神が彼の献げ物を認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。(ヘブライ11:4)
父の死を引きずっている
父が97歳で死んでから半月以上になったが、まだ私の心はモヤモヤしている。その大半は、十分なことをしてやれなかったという後悔である。とはいえ、20年間も同居をして、それなりに家族から手厚い介護も受けていたから、父の最晩年が惨めであったということはない。実際には恵まれていたと思う。
「十分なことしてやれなかった」というのは、父の信仰に同伴することができなかったという意味である。父はキリスト教徒の家に生まれ、本人も若い時から信仰を持っていたらしいが、なにせ父の両親は晩年に棄教しているので、信仰という意味では祖父母がどういう最後だったのかは分からない。また、その事実に対する父の思いも私には分からなかった。
私の後悔
父はそういう経験があるから、棄教など考えもしなかっただろうし、95歳くらいまでは何とか教会にも通っていた。だから、表面的には「信仰を持って死んだ」ということになるだろう。
私がモヤモヤしているのは、実のところ、父とキリスト教信仰について語り合った記憶が全くないということに気付いたからだ。私も牧師をしていたので、父からキリスト教の知識や考えについて、少なからず質問を受けたことがあるし、その都度、私の考えも伝えてはいた。
では、父がどのような信仰を持っていたのかといえば、正直分からないのである。子どもの信仰教育は「教会に丸投げ」的な人であったので、父の口から信仰話を聞いた記憶がない。せいぜい、教会に対するちょっとした愚痴ぐらいだ。
父の晩年
父は酒もタバコもギャンブルも、そういうものには無縁な人だったし、80歳くらいまで仕事をしていたので、恐らくピューリタンと呼ばれるにふさわしい人物であっただろう。同居するようになってからは、毎朝、母と祈祷会をやっていた。私は同席することはなかったが、敬意は持っていた。
いつ頃から朝の祈祷会もなくなり、教会にも疎遠なり、信仰に無関心になってしまった。入浴中に溺れて、救急搬送されたのが2年前だ。コロナ禍で面会もできない救急病院に2週間ほど入院した後、家に帰還した。95歳の老人にとって、家族に全く会えず過ごした入院生活はあまりにも過酷であったと思う。家には帰ってきたが、認知度は極端に下がり、もう自分ごとだけに埋没するような姿になっていた。
恐らくその頃から、キリスト教に関心がなくなったと思う。一日中テレビを見るだけの生活、時々、子どもの頃の話をするくらいだ。正直言って私は戸惑った。それでも本人の前で何かを祈ってあげる、ということもできなかった。
私がやったことは、時々、家庭聖餐をするくらい。それも式文を読むだけで、これといって信仰の話もしなかった。この2年間でどれほどの回数だっただろうか。10回はしてない。確かに、その時は「ありがたい」とか言って、パンとぶどう酒を口に入れていたが、でも、それだけである。
信仰の言葉
父はこれといった信仰の言葉を残さずに死んだ。最後は老衰だ。20年前に同居を始めたころは、信仰者である父の看取りをするものだろうと思っていたが、実際にはただの超高齢者の死を経験しただけだ。それもこちらが全く予期しない時に死んだので、最後の語らいもなかった。
父の最後は、気の利いた信仰の言葉を聞きながら、あるいはまた、こちら側も気の利いた言葉を話しながら、天国へ旅だって行くのだろうと考えていた。それにふさわしい人だと思っていたので、父の死に様は私にとっては全くの予想外だったのである。
信仰者の最後
父の信仰生活は優に70年を超えるものだったし、そのほとんどは立派な教会人であったと思う。誰かから「今も天にあって信仰によって語っているのですよ」と言われれば、それを否定する気はない。
それでも私の心がモヤモヤしているのは、もちろん、それは自分に対してである。誰かの「死に様」に文句を言える立場ではない。それでも言わせてもらえば、父に比べれば私の信仰生活は「ゴミくず」にしか思えないけれども、もうちょっと「マシな」信仰者としての死を迎えたいと思った。つまり、キリスト教的な雰囲気に囲まれてという意味である。
しかしである。それは何と傲慢で自分勝手な言い分だろうかと思う。私は昔から「終わりよければ全てよし」という価値観を持っている。というか、終わりくらいは「まとも」でありたいということか。それではますます傲慢だろう。
私がせめて最後は立派な信仰者として、キリスト教徒らしく死にたいと思っているのは確かである。その自分の思いを父に投影していたのであろう。まあ、こういうことはキリスト教徒にありがちなのかもしれない。
今も信仰によって語っている?
考えてみれば、アベルの生涯はものすごく影が薄い。確かに良きものを神にささげた人であるから立派ではあるが、しかし嫉妬して彼を殺した兄に比べれば、聖書の言葉もわずかである。ちょっと遠慮したい人生だ。
それでも、聖書はアベルが神から認められたと語る。アベルは死んだけれども、信仰によってまだ語っていると書かれている。なるほど、そういうものであるらしい。ずしっと心に突き刺さる言葉である。(続く)
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