唐代、武宗皇帝による大迫害があった840年代以降、景教徒たちは宣教拠点の中心地であった西安から逃れ、北京郊外、内モンゴルや福建省、中央アジアへと離散し、特に、元の時代に名前を景教からエリカオン(也里訶温)教と改称。会堂名も大秦寺から十字寺に変更して信仰生活をしていきました。
彼らの生きた証しとして、内モンゴルでも十字とシリア語で彫られた信徒の墓石が多数発見されています。
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
盖山林著『陰山汪古』(中国古代北方民族史叢書、内蒙古人民出版社、1991年)
江上波夫著『モンゴル帝国とキリスト教』(サンパウロ、2000年)
『オロンスム モンゴル帝国とキリスト教遺跡』(横浜ユーラシア文化館編集発行、2003年)
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