唐代、武宗皇帝による大迫害があった840年代以降、景教徒たちは宣教拠点の西安から離れ、大秦景教や大秦寺会堂の名を廃して「エリカオン(也里可温)教」「十字寺会堂」と改称し、多くの信徒たちは福建省の泉州近辺にも住みました。
1300年前後の元の時代に生きていた信徒たちの、シリア(叙利亚)文やパスパ(八思巴)文などに天使を刻んだ墓石が1900年代中ごろに発見されました。それを見るために、親しい韓国人宣教師(日本宣教師や中国宣教師)の助けにより、泉州海外交通史博物館と厦門(アモイ)大学内の遺跡などを見学しました。
この地は東西の交易海路として有名で、同館は中国では唯一の海上交通専門の博物館です。学芸員は日本語が大変上手でした。
泉州海外交通史博物館(1959年創建)
どうして多くの信徒の墓石がこの地域で発見されたかというと、ここから都の長安(西安)とは陸路の往来があり、海洋の拠点として彼らの活動地でもあったからです。同様の遺跡は福建博物院にも所蔵されています。
書籍の紹介
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
『景教碑の風景』(シリーズ「ふるさと春日井学」3、三恵社、2022年)
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