これは私たちの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、曙の光が、いと高き所から私たちに訪れ、暗闇と死の陰に住んでいた者たちを照らし、私たちの足を平和の道に導く。(ルカ1:78~79、新改訳2017)
暗闇と死の陰に住む私たち
新型コロナウイルスのパンデミックが始まってから約3年たちますが、いまだに収束の兆しは見えず、国内でも多くの感染者が出、死亡者も増加しています。今年、私の親しい友人牧師や知人の牧師夫人も召され、悲しみと寂しさを体験しました。コロナ禍が続き、なかなか出口が見えない中で、老若男女誰もが、感染と死を恐れて生きています。
さらに今年2月末のロシア軍による軍事侵攻で始まったウクライナ戦争が長引き、現地ではウクライナ、ロシアの若者たちによって「戦争」という名のもとに、互いに大量の殺し合いが続いています。若者たちは、たった一度の青春時代を楽しみたかったはずなのに、恐怖と野望に取りつかれた老齢の独裁者によって、無益で愚かな戦争に駆り出され、死闘を繰り広げています。何と悲惨なことでしょうか。
このウクライナ戦争だけではなく、極東アジアでは、北朝鮮の度重なるミサイル発射実験と台湾有事が盛んに叫ばれ、日本政府は、今までにない膨大な防衛予算を組み、日本も世界の軍拡競争に巻き込まれそうです。
さらに、保育所における女性保育士たちによる幼児虐待事件、高齢者施設や知的障がい者施設などにおける職員による集団虐待が発覚し、私たちの住む世界が、地球温暖化で氷山が溶解していくように、がらがらと音を立てて崩壊し始めています。まさに現代人は、「暗闇と死の陰に住んでいる者」たちのようです。そのような現代人の私たちに、神の御子イエス・キリストの降誕は、大いなる希望の光で真の平和に導く福音です。
約2千年前にベツレヘムの寒村の家畜小屋で、おとめマリアが御子を出産したとき、郊外の羊飼いたちに、突然天使たちの軍勢が現れて神を賛美しました。夜空に現れた異次元の輝く光景に、羊飼いたちは圧倒されたことでしょう。夜空に高らかに響く天使たちの大賛美の声!
いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。(ルカ2:14、同)
神の御子イエスは、暗闇と死の陰に生きる私たちに、「神の愛」と「永遠のいのち」を与えるため、この世界に来てくださいました。
クリスマスイブの前日に召された末妹
私は、北海道千歳市の片田舎の農家で育ちました。家には、仏壇と神棚があり、元旦には初日の出を家族全員で拝むような家庭でした。私は、5人きょうだいの長男で、小学6年生の時に、母親が自宅で末の妹を出産しました。当時は、病院ではなく自宅分娩(ぶんべん)が普通でした。生まれたばかりで血の付いた赤ん坊が、産婆さんの手に抱えられて、居間のたらいで湯船に浸かっている光景を、今でも鮮烈に記憶しています。
生まれた赤子は、「千代子」と命名され、家族皆からかわいがられて健やかに育ちました。私が、10代の時にラジオ番組「世の光」を聞いてクリスチャンになった影響なのか、末妹は、高校生の姉と共に、中学3年生の時に札幌の教会で洗礼を受けました。
その洗礼の証し文には、「イエス様がなぜ十字架にかかったのか、それは自分の罪のためだったこと、こんなに弱く罪深い者をイエス様は赦(ゆる)して、さらに愛してくださるということを知ったとき、私は洗礼を受ける決心をしました。・・・」とあります。
いつも笑顔で明るく元気いっぱいの末妹は、社会人となったある冬の休日、ニセコのスキー場に友人と出かけました。そこで一人の青年と運命的な出会いをして結婚に導かれました。3人の元気な男の子たちが与えられ、明るく楽しい家庭を築いていました。夫の転勤に伴い、やがて北海道から埼玉に引っ越し、息子たちも成長し、社会へ巣立っていきました。
ようやく子育てから解放された末妹でしたが、精密検査の結果、大腸がんと診断され、約3年にわたる厳しい闘病生活が始まりました。そのような闘病生活でも、末妹は、普段通り笑顔で毎日を過ごしていました。いつか、長兄で牧師の私に泣き言を言ってくるかもしれない、と内心思っていましたが、杞憂(きゆう)でした。皆に心配をかけたくないという末妹の思いやりだったのかもしれません。
2020年12月7日早朝、末妹は大出血して意識を失い、埼玉県新座市の堀ノ内病院に緊急搬送されました。非常に危険な状態でしたが、輸血によってどうにか命をつなぎ止めました。緊急入院して1週間後の日曜日の朝、義弟はスマホで聖歌を聞かせました。末妹は「聖歌はいいなあ」と喜び、「お父さん、天国で待っているからね。でもゆっくりおいで。お父さんは、まだ担っているものが大きいから・・・」と語りかけたと言います。
大量輸血と出血を繰り返していた末妹は、クリスマスイブの前日、12月23日夕方、家族に見守られながら静かに息を引き取りました。61歳でした。最愛の妻を天に送った義弟は、末妹召天後の追悼文集に次のように書いています。
千代子が召天した。2020年12月23日午後4時5分、精一杯、全身で呼吸していた力が抜けて静かに細く弱く息が途絶えた。3人の息子たち、入院以来、看病を続けてくれた義姉。家族みんなに見守られて、抜けるような空の青さ。黄金色の銀杏の葉がゆらゆらと舞い落ちている。『天気が穏やかだから、すぐ天国に到着できるね』
3年間に及ぶ闘病生活が終わり、千代子は旅立っていった。・・・或(あ)る時、私は気づいた。千代子は風だ。千代子は夏に心地良く吹く北海道の高原の涼風。冬は小春日和の陽射(ひざ)しにゆったりと流れる温かい風。・・・『天国でまた会えるね』と言った。この希望にどれほど慰められたことか。・・・
私たちきょうだいは相談して、認知症でほとんど一日中眠っているような高齢の母には、末妹の死を告げないことにしました。
自分の受洗日12月19日に召された母
一昨年の末妹の召天から丸2年になる直前になって、私の高齢の母は、12月19日深夜、眠っているときに、誰にも看取られないで天に移されました。しかしその前日の夕方、施設からの連絡で、私たちきょうだいは母を見舞い、体を優しくさすりながら話しかけました。母は、かすかに目を開けて上を見上げていました。一言も声を発することはありませんでしたが、目は澄み切っていました。私は、母の最期が近いことを直感し、枕元で詩篇23篇を唱え、祈りました。母の死は、その数時間後でした。
天使たちによって天に移された母は、主イエスにお会いし、2年前に召された末妹と再会し、母は驚き「千代子、あなたどうしてここにいるの?埼玉でないの?」と問い、末妹はいたずらっぽく笑って「母さんより先にここに来てしまったよ。父さんもここにいるよ」と言ったことでしょう。天上での喜びの再会の光景を想像しながら、一人ほほ笑みます。
12月20日午後、母の葬儀があり、火葬場での収骨の時、ほんのわずかな遺骨だったのであぜんとしました。こんなに少ない遺骨は見たことがありません。小柄な母は、コロナ感染の後遺症で、極限までやせていたのだと、実感しました。白い遺骨は、骨箱に収められましたが、母の霊は主のみもとにあることを信じ、不思議な安堵感と慰めを与えられています。まことにイエス・キリストの降誕は、私たちに「罪の赦し」と「永遠のいのち」を与え、永遠の御国に招くための、主なる神の大いなる愛の奇跡の出来事でした。
光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。(ヨハネ1:5、同)
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