滝のような雨の降る、通り雨の嵐の中を車で走っておりました。前を走る車の車輪が水しぶきを上げて、フロントガラスが真っ白に煙ります。視界はほとんど遮られ、車のライトだけが頼りでした。
季節の移ろいやすい梅雨の前。私は夜勤のために職場に向かっておりました。安い中古の軽自動車はこの嵐にさらわれて、私を乗せたまま空に吹き飛んでしまいそう。「神様!」心の中で叫びました。まるで海を割ったような、水の世界でした。いつか神様が海を割られ、イスラエルの民たちを渡らせたように、私をどうかお導きください、と祈りながらハンドルを握りしめておりました。
やっとのことでたどり着いた職場で、申し送りを済ませると、小さなグループホームでありますから、職員は私一人きりとなりました。利用者のおじいちゃんおばあちゃんは、とうに寝静まっており、ドアの向こうからはそれぞれの寝息が聞こえました。この夜の10時から朝の7時までの夜勤番が私の仕事でありました。
洗濯室で、濡れた上着を乾燥機に入れて乾かしました。静かなホームに乾燥機のドラムが回る音が響きます。気付けば雨は降りやんでおりました。時折鳴るナースコールと、寝たきりの方の2時間に1度の体位交換とおむつ交換、それ以外はホームの共有スペースのモップ掛け、余った時間は台所の豆明かりを頼りに聖書を読みます。・・・一人で働くことは、性に合っておりました。
先ほどの海のような嵐がよみがえり、モーセがイスラエルの民を先導し、主が雲の柱、火の柱となって、イスラエルの民をエジプトの軍勢から守られた箇所を読みました。
「主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい」(出エジプト14:14)
私のこれからの人生の嵐も、主と万軍のみ使いたちが先導し、また後方を守りして歩ませてくださるのだ。そんな熱い思いと、まだまだ長い人生の道のりに足がすくむ思いが同時にしました。不安な気持ちで薄暗いホームの天井を見つめると、「人生の海の嵐に」がどこからか聞こえてくるようでした。耳を澄ませて、私も口ずさみました。
♪人生の海の嵐に もまれ来しこの身も
不思議なる神の手により 命拾いしぬ
いと静けき港に着き われは今 安ろう
救い主イエスの手にある 身はいとも安し・・・♪
すると小菊の花びらを散りばめた小菊時計が現れて、その針をゆっくりとさかのぼらせてゆくのです。私はめまいがするようにその時計の中に吸い込まれてゆきました。
*
水晶や青い鉱石、ルビー、サファイア、メノウ・・・とりどりの宝石が惑星のように、漆黒の宇宙にきらめいておりました。流星と流星がぶつかり合って弾けるような金属音が響き、それらは一つのメロディーを成して、宇宙の深みへといざないます。真夜中の都会の地下室に、茫漠(ぼうばく)な宇宙が開けており、肌を露出した派手な服を着た人たちがひしめき合って、ダンスを踊っておりました。
私も真っ赤なリップを輝かせ、カールされた髪の毛を躍らせながら、そこでステップを踏む一人でした。今日初めて会ったばかりの ‘トモダチ’ がお酒の入ったカップを渡してくれます。ウォッカは喉を焼いて体内に巡り、血流は一層激しくなり、心臓は聞こえるほどに激しく鼓動を打ちました。
‘トモダチ’ が何やら話しかけてきます。「聞こえないー」大きな声で返しました。私は宇宙と溶け合って一つになってしまおうとダンスに夢中でありました。踊って、踊り狂って、自我も忘れて、ただの肉の破片になって、自分をなくしてしまうまで踊り尽くしてしまえたら、この美しく優しい宇宙と、‘神様と’、溶け合い一つになれる。そんな気がしていました。
ドクン、と心臓が語るように、言葉が体に響きます。
「はじめに神が天と地を創造された」
「地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた」
「神は仰せられた」
「光あれ」
「すると光があった」(創世記1章)
私は宇宙の果てに手を伸ばし、涙を流して「アーメン」と叫びました。「この世界の隅々まで見てみたい。闇の深みも、快楽も、そこに流れる血の味も、舐めて頬張って知り尽くしてみたいのです」。私はお酒の酔いも相まって高揚し、そんな祈りを発していました。
「身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています」(1ペテロ5:8)
その通りでありました。悪魔は世界を見渡し、旋回し、食い尽くすべきものを目ざとく探し出しました。私の体内にも、悪魔の爪がしっかりと食い込んでおりました。私はそれを分かっており、しかし悪魔のことすらもっと知りたい。そんな欲望に身を焦がして、その爪を握りしめていたのです。聖書に倣って悪魔から身を退けることよりも、悪魔に自ら進んでとらわれようとする、私は悪魔のとりこでありました。
地下室から出ると、もう朝日が昇り、世界を光で覆っておりました。あまりのまぶしさにうんざりしました。逃げ込むようにファミレスに入って、空腹のおなかに食べ物をたっぷり満たしました。鏡を見ると、剥がれ落ちた化粧に一晩の疲れでこけた頬・・・まるでゾンビのようでした。
電車を乗り継いでバスに乗り、家に帰る。途方もない道のりのように思えました。財布の中身を見て、帰れるだけのお金があるか確認します。詐欺まがいの教材販売のコールセンターで稼いだお金も、まだずいぶん残っており、ほっとしてオニオングラタンスープを追加で頼み、化粧を直し始めました。グレーゾーンの仕事ほど、時給は高いものでした。しかし私はいつもお金に困り、お金の心配をしていました。
「主は正しい人を飢えさせず、悪しき者の欲望をくじかれる」(箴言10:3)とある通り、私の欲望はこの先も、抱けば抱くほどにくじかれるばかりでありました。主のみ言葉は堅固な山のように立ちはだかっておりました。それでも主のみ言葉に挑戦するように、私はお金を欲しました。この世界で生きていくには、(私の欲望を満たすには)お金は1億あっても10億あっても足りるようには思えなかったのです。ですから私の心はいつも貧困と闘っておりました。
*
ナースコールが鳴って、ふいにわれに返りました。慌てて利用者さんの部屋に向かいます。ドアを開けると、車いすの利用者さんが、自分の力で車いすに乗り、窓の向こうを見ておりました。「何かご用がありましたか?」そう聞くと、利用者さんは振り返り、「見てごらん。月がきれいだよ」と言いました。窓をのぞき込むと雲一つない空に、大きな満月が出ておりました。「本当だ。きれいですね」
私の人生の中で、今ほどに安いお給料で働いているときはなかったでしょう。家にお金を入れて、これから計画している一人暮らしの資金をためて、そうしたら残るものなどわずかです。しかし、これほどに富んでいるときもありませんでした。
不思議なことです。
「主は正しい人を飢えさせず、悪しき者の欲望をくじかれる」(箴言10:3)
み言葉は堅固な山のように立ちはだかって、私を守っておりました。(つづく)
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ところざきりょうこ
1978年生まれ。千葉県在住。2013年、日本ホーリネス教団の教会において信仰を持つ。2018年4月1日イースターに、東埼玉バプテスト教会において、木田浩靖牧師のもとでバプテスマを受ける。結婚を機に、千葉県に移住し、東埼玉バプテスト教会の母教会である我孫子バプテスト教会に転籍し、夫と猫4匹と共に暮らしながら教会生活にいそしむ。フェイスブックページ「ところざきりょうこ 祈りの部屋」「ところざきりょうこ 涙の粒とイエスさま」。※旧姓さとうから、結婚後の姓ところざきに変更いたしました。