披露宴会場の新郎新婦の座る席 ‘高砂’ に、夫となる人、彼と共に座っていました。私は夢まぼろしを見るように、タキシードに身を包んだ彼と、目の前の幾つものテーブルで料理を楽しむ人たちを見渡しました。この披露宴が終われば、その足で婚姻届けを出しにゆき、神様の前にも、また社会においても私たちは夫婦と認められます。それは今になっても、信じがたいことでした。
「結婚式なんてすることないわ、ましてや披露宴なんてやめてよ。私呼べる人もいないもの」。そう主張する私に、彼は珍しく譲りませんでした。「結婚式は、未信者の家族や親族への証しとして与えられた機会なんだよ」と、温和な彼のかたくなな一面を知りました。けんかになってもおかしくはありませんでしたが、その時主が、お語りになった気がしたのです。
「さあ、起きあがって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしに会った事と、あなたに現れて示そうとしている事とをあかしし、これを伝える務(つとめ)に、あなたを任じるためである」(使徒26:16)
この聖句は、いつか私が一度死に、イエス様によって新しく命の与えられたことが記憶されているみことばでした。あの日、主は私を死なせず、残りの人生を、ご自身を証しするために私にお与えになりました・・・。私は主に祈り尋ね、求めました。「主よ、私がご入り用でしょうか。ご入り用ならば、私を遣わしてください」と。そして、結婚式を主の証しとして行うことを導きとして得たのです。
私は結婚式の引き出物の中に、自作の栞を添えることにしました。絵手紙の得意な母の助けを得て、絵の具をにじませ、一枚一枚、赤い十字架と白百合の絵を書きました。そしてその絵の上に、一つ一つ筆で聖句を書きラミネートし、リボンをくくりつけました。聖句は「瞳のように私を守り、御翼の陰にかくまってください」(詩編17:8)というところを選びました。
天井のシャンデリアから、まばゆい光が照らします。くらくらとする私の前に、それは大きなすみれ色をしたすみれ時計が現れて、その針をさかのぼらせてゆくのです。
すみれ時計の中には、幼い頃の私の姿がありました。上半身裸でオムツを履いて、テーブルの上ではしゃぐ私の姿。幼稚園の鼓笛隊で、鍵盤ハーモニカを吹く姿。両親に愛され、幸せな未来を疑わなかった頃・・・なじめなかった小学校。一人で帰った下校道で、慰めてくれた野花たち。冷めたみそ汁のように冷え切っていった家、真夜中の団地に忍び込んで、一人で探検したこと。友達のいなかった私の友達になってくれた団地や花、空や風さん、あざやかなオレンジ色のキバナコスモスも風に揺れながら声援を送ってくれました・・・。
精神科、精神病棟、隔離室・・・一生懸命世話してくれた看護師さん、優しい入院仲間たち。カラフルなラムネのような、たくさんの薬たち。楽しい気持ちも与えてくれた、つらい時に眠らせてくれた、さらにブクブクと太らせてくれたいろいろな薬たち。「自分なんて生きていてはいけないのだ」と、悪魔に支配されていた暗やみの時間。死を切望して天井を見つめた寝たきりの長い日々・・・自殺未遂、イエス様の叱責の言葉のひびき。通い始めた作業療法、仲間たち、私の体を触っていたクッキー屋の主人だって嫌いじゃなかった。彼と出会った季節には、秋風が祝福するように優しく吹いた。
私を守り続けた小さな宇宙、私のお部屋・・・エレクトーン。歌で泣き、歌で喜び、歌で、神様をたたえた。嗚呼、今も団地群たちは大きな空の下に立ち、たくさんの家庭の暮らしの悲しみや喜びの記憶を抱いて、涙を流しているのかしら。あの日の猫のお姉さんは今日も猫に囲まれて、キャットフードをかじりながら猫たちを肩に乗せていることでしょう。
すみれ時計の針が回り、さまざまな情景を見せてゆきます。私の目からは涙がとめどなくあふれました。彼がはっと気付いてハンカチを差し出します。
両親が親戚たちに囲まれて、幸せそうに笑う姿が見えました。特にお父さんの誇らしげな顔。釣りの仲間やカラオケ仲間まで引き連れて、呼べる人の少なかった客席を賑わせてくれています。長い間ひきこもり、床に伏せってばかりであった娘が、きれいなドレスを着てこのような日を迎えることができたのです。親戚たちも、「奇跡が起きた」とばかりに喜びを共にしておりました。
牧師先生が祝辞をくださり、教会の人たちは、かわるがわる賛美歌を歌っては、主にある恵みのおとずれを告げ知らせてくれました。
すみれ時計はくるくると針を回します。その針は、イエス様の鼓動の音を奏でており、私の命が主の命の中に生かされていることを教えます。すみれ時計のすみれ色は、私を守る小さな宇宙の色でした。群青色に紫色のにじんだすみれ時計は、ほのかにピンク色が混ざり合い、空間をゆがめ、映像を変え、気付けば私は、新居の揺り椅子で編み物の手を止めていました。
「聞いているのかい」。目の前に夫の顔がありました。「僕が話しているというのにうわの空で」。そう言ってすねた顔をしています。「自分の世界もいいけれど、本当は僕のことなんて好きでも何でもないんだろう」と子どものようにぐずりました。夫は私の腕で涙を拭うと、「僕だって寂しいのだからね」そう言ってもう笑っていました。
私はふと窓の外を見ました。見えない炎が降り注ぎ、ごうごうと燃えるこの世界を。一歩一歩終末の世界の近づきたる、その世界のただ中であっても・・・私は夫の手をぎゅっと握りました。
夫婦となった暮らしだって、ぶざまなばかりの歩みです。振り返れば後悔ばかりが残ります。ですが「後(うしろ)のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである」(ピリピ3:13~)とあるように、ただ、御国を目指して手を伸ばし、神様のあまりの麗しき世界に触れたいと、捕えたいと切望して、明日も生きてみようと思います。夫の手を握って、この力なき者であっても、夫を助けていきたいと。
今日も横になってばかりの一日でした。力ない病者の私でありますが、主はあわれみをもって、私に病を与えてくださいました。この病を持っているからこそ、知れたことも多くあり、また、病から身を守るように、神様は私にすみれ色の小さな宇宙をお与えくださり、私を守り続けてくださいました。
鍵盤を叩くと、音は空間となり、小さな宇宙となって私を包み、神様の守りで満たしてくださいます。私はその守りにくるまれて、今夜も歌を歌うのです。
♪わたしを 生かした 光
幾多の困難も
わたしを つぶそうとした痛みも
守り続けたのは あなたの御手だった
今日まで わたしを守り
わたしに姿を現したあなた
今日まで生かした 力
命を守る力があった
神様と 宇宙と 光と呼んだ
それは あなたの御手だった・・・♪
「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災(わざわい)を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである」(エレミヤ29:11)
(完)
◇
ところざきりょうこ
1978年生まれ。千葉県在住。2013年、日本ホーリネス教団の教会において信仰を持つ。2018年4月1日イースターに、東埼玉バプテスト教会において、木田浩靖牧師のもとでバプテスマを受ける。結婚を機に、千葉県に移住し、東埼玉バプテスト教会の母教会である我孫子バプテスト教会に転籍し、夫と猫4匹と共に暮らしながら教会生活にいそしむ。フェイスブックページ「ところざきりょうこ 祈りの部屋」「ところざきりょうこ 涙の粒とイエスさま」。※旧姓さとうから、結婚後の姓ところざきに変更いたしました。